スパゲッティ(パスタ)

スパゲッティ(スパゲティー、スパゲッティー、スパゲティなどとも)は、イタリア料理で使われる麺類であるパスタのひとつで、紐のように細長いものをいう。

イタリア本国においては数あるパスタの中でヌードルの一種を指す代表的なパスタであり、よく食べられているパスタの一つでもある。

種類

スパゲッティ (spaghetti) という語は、「ひも」を意味するイタリア語 spago に縮小辞のついた形 (spaghetto) の複数形である。原義どおり、デュラム小麦粉のセモリナを使ったひも状のパスタで、断面が円形で、太さは2mm弱のものを指す。

少し太い物(2mm強)をスパゲットーニ (spaghettoni) またはヴェルミチェッリ (vermicelli)
少し細い物(1.6mm前後)をスパゲッティーニ (spaghettini)
さらに細い物(1.3mm – 1.5mm程度)をフェデリーニ (fedelini)
1.2mm未満の物をカペッリーニ (capellini)
と言い分ける。

歴史

昭和3年、日本で初めての国産スパゲッティ「ボルカノ」兵庫県尼崎市南塚口町(現在のピッコロシアター)にあった高橋マカロニ(髙橋胖)によって製造された。この商品名は高橋がイタリアでスパゲティに出会った時に見たヴェスヴィオ火山にちなんでおり、当時は「スパゲッチ」と称した。

終戦後の昭和20年から昭和27年まで続いた占領期にアメリカ軍兵士がレーションとしてよく食べていたことから、知られるようになった。大量生産の軍用食であるため、あらかじめ茹でた麺をケチャップで味付けしたものが主流だった。昭和28年当時、東京でスパゲッティが食べられる店は帝国ホテルと、CIA東京支局初代局長のポール・ブルームが自邸の元料理人に開かせた田村町の「壁の穴」など3軒ほどしかなく、帝国ホテルでは960円、壁の穴では100円で提供された。同店は、安さとオーダーボイル(注文後に麺を茹でる)とアルデンテ(歯ごたえを残す)を実行したことにより、在日外国人客や海外通に支持された。昭和35年代半ば頃には広く一般家庭でも料理されるようになったが、昭和55年代後半までは、日本においてスパゲッティといえば、アメリカ式のミートソースと日本生まれであるナポリタンが双璧を成していた。外食メニューとして昭和35年代当時は大都市部(東京・名古屋・大阪・福岡)や港町(横浜市・神戸市)を除けばまだイタリア料理専門店が珍しく、洋食屋や喫茶店などで食べられることがごく一般的であった。

当時は麺を茹でおきしておき(茹でるときに入れる食塩もほんのひとつまみであったため、麺自体にはほとんど味もコシも効いていないが、当時はむしろそのような方が好まれたようである)、注文に合わせて肉、ピーマンやタマネギなどと油で炒め、単純に市販のケチャップでからめてそのまま味付けとする方法が一般的であった(つまり焼きそばのような調理法である)。また、レトルトのうどんのようなインスタント麺も多かった。こうした調理法であったため、今日のスパゲッティ水準から見ればあまり美味とは言えないものもあった。ただ今日では、レトロなナポリタン・イタリアンなどと称されるケチャップ炒めスパゲティが昭和ノスタルジーの風物として人気を得ている。

こうした「日本風スパゲティ」が、かつては一部の例外を除き、おおむね一般的であった(伊丹十三は、1968年に刊行されたエッセイ集『女たちよ!』において、「スパゲティは断じて、炒めうどん(焼きうどん)ではない」と書いている)。しかし、1980年代後半からのバブルによる「イタメシブーム」が火付け役となり、本場イタリア風のさまざまなスパゲッティとともに日本独自のたらこスパゲッティ(明太子スパゲッティ)が人気となった、そして平成2年代半ば頃より、徐々に家庭での調理も本場イタリアの調理法を踏襲するものとなり、また前述のような日本独特の素材と和える方法が各種編み出された。これらの需要に応えるため、スパゲティ用の調味料やソースがイタリアから輸入されるとともに、日本の食品メーカーが和風スパゲティ向けに各種製品を開発・販売している。また、即席麺でも『日清Spa王』(日清食品)のようなスパゲティが登場している。

地方で考案され、ご当地グルメとして根付いたスパゲッティ料理も数種類ある。「あんかけスパゲッティ」(愛知県)や、熱した鉄板の上にスパゲティと豚カツをのせてミートソースをかけた「スパカツ」(北海道釧路市)、アサリの煮汁の旨味に着目したスープ系パスタ「ボンゴレスープスパゲティ」(群馬県高崎市)などが代表例である。

物理

スパゲッティを両端から曲げると高確率で3本以上に分割されることが経験上知られていたが、理由についてはリチャード・P・ファインマンなどの物理学者が取り組んだものの長らく不明のままだった。この現象を研究したピエール・アンド・マリー・キュリー大学の研究者は2006年のイグノーベル賞物理学賞を受賞している。さらに2018年にマサチューセッツ工科大学の研究者らが、捻ることで2つに折れると明らかにした。

ミートソース

ラグー・アッラ・ボロニェーゼ(イタリア語: ragù alla bolognese、ボローニャ方言: ragò a la bulgnàisa、日本語: ミートソース)は、タマネギ、セロリなど、刻んだ香味野菜と炒めあわせて風味をつけた挽肉と、トマトを素材として合せた、イタリア料理のソースである。ボロネーゼと略される。フランス語読みでボロネーズ(sauce bolognaise)とされることもある。発祥はイタリア・ボローニャ地方。

スパゲッティと和えることが多く、日本ではかつてはミートソースと呼ばれナポリタンと並んでなじみの深いスパゲッティ・メニューのひとつだったが、現在ではボロネーズともミートソースともいっている。

イタリアのボロネーゼ

イタリア南部の簡単な調理法しかなかったパスタを、「肥満の街 (La Grassa)」すなわち食の都である北部のボローニャの裕福層が、隣接するフランスのラグー(ragout 煮込み)をもとに肉や野菜、ワインなどを贅沢に使用して作らせたのが起源といわれている。パルメザンチーズやタバスコをかけることが多い。家庭料理としては、大きめに切ったナスやピーマン、きのこなどを材料に入れることもある。

1982年にイタリア料理アカデミーのボローニャ代表によって発行されたレシピは、材料を牛肉、パンチェッタ、タマネギ、ニンジン、セロリ、トマトペースト、肉のブイヨン、赤ワイン、そして任意での牛乳およびクリームに制限している。ソフリットとしてプロシュット、モルタデッラ、またはポルチーニが加えられることもある。伝統的なものとは違った作り方として、牛肉とともに豚肉、鶏肉、ガチョウのレバーを利用したり、オリーブ油とともにバターを使用するレシピも存在する。また、実際にはトマトペーストではなく、トマトソースを使うレシピも広く知られている。

イタリアでは、伝統的にタリアテッレと和えて調理される (tagliatelle alla bolognese)。またはラザーニャ、カネロニとして調理される。リガトーニなどの、短い管状のパスタと合わせることもある。

イタリア国外では、スパゲッティと和えて食されることが一般的である。この食べ方はイタリア国内にも広がってきている。しかしこのスパゲッティ・ボロネーゼ(Spaghetti alla Bolognese, スパゲッティ・ボローニャ風の意)は、イタリア南部のように乾いたパスタではなく、鶏卵を原材料としたパスタが好まれてきたエミリア料理 (cucina emiliana) の伝統には属さないものであり、本来的にボローニャ風とは言い難いものである。

日本のミートソース

日本でも、ミートソースはスパゲッティ・ソースのスタンダードとして定着しているが、完全に混ざるまで和えるのでなく、よそう(上に乗せる)のが日本スタイルである。麺はボロネーゼはタリアテッレを使う事が多いが、日本のミートソースは麺をナポリタンのように炒めたりすることもある。ソースは「ボロネーゼ」とは見た目がかなり異なり、日本では挽肉・トマトソース・デミグラスソースを使うのが一般的で、トマトケチャップやウスターソースで味をつけることも珍しくない。汁気も日本の方が少ない。1990年代以降は大きめに切ったナスやピーマン、きのこなどを材料に入れることも一般化している。

新潟県新潟市のホテルイタリア軒は、日本初のスパゲッティミートソースの提供者とされることがあるが、明治14年の開店ののちいつ発売されたかは明らかではない。東京・銀座の「煉瓦亭」のオーナーは、遅くとも大正時代にはメニューにこれを書き加えていることを明かしている太平洋戦争後、兵庫県宝塚市のイタリア料理店 “アモーレ・アベーラ” の初代店主オラッツィオ・アベーラ (1913 – 1974) が、「スパゲティミートソース」として店で出したのが日本初という説もあるが、これは「関西初」とみる資料もある[6]。

昭和34年、キユーピーが独立した缶入り商品としてこのソースを発売したことが、家庭によりミートソースを普及させる下地を作った。これに追随する形で各社でスパゲッティ・ソースの販売が開始され、レトルト食品を中心にバラエティを極める現在でも、ミートソースの人気は衰えていない。

「フォークとスプーンでパスタ」は間違い!?

右手のフォークでパスタを巻き取って、左手のスプーンで形を整えて口に運ぶ……このフォークとスプーンスタイルが、パスタの正式な食べ方だと思っている人が多いのでは?ナイフとフォークでステーキをカットして口へ運ぶように、両手を使うとお上品な気がしますよね。
しかし、パスタの本場イタリアでは、スプーンを使わないというのです!正しいパスタの食べ方について、お教えします。

イタリアでスプーンを使うのは幼児だけ

地域により使うところもありますが、一般的にイタリアではパスタを食べるときにスプーンを使いません。スプーンを使うのは、フォーク1本で上手にパスタを食べられない子どもだけなんだとか!スプーンを使うのは「大人なのにフォークを上手に使えない」ちょっと恥ずかしい感覚のようです。日本人が「箸をきれいに持てないと恥ずかしい」と考えるのと似ていますね。

17世紀頃は手づかみだった!

スプーンを使わないどころの騒ぎではありません。なんと、17世紀頃のイタリアでは、庶民はパスタを手づかみで食べていたのです!
イタリア・ナポリの伝統的なパスタ「ヴォイエロ」のパッケージには、手づかみでパスタを食べているピエロの姿がプリントされています。 当時のナポリで、パスタはファストフードとして食べられていました。路上に置かれた大きな釜で茹でたパスタを、誰もが気軽に手づかみで食べる。日本の伝統的なファストフード「寿司」とどこか似ていますね。

なぜ日本ではスプーンを使うの?

フォークとスプーンを使ってパスタを食べるのは、昭和5年以降にアメリカから日本へ入り、広まった文化だと考えられています。「食べやすい」という理由でアメリカで使われるようになり、日本でも広まったんですね。
最近では、日本でも高級レストランを中心に、パスタ用にスプーンを出さず、フォークだけを提供するお店が増えています。テーブルの上にスプーンが出ていたとしても、それは魚料理やスープ用である可能性が高いです。必要な場合はパスタ用のスプーンを頼めば用意してくれるはずなので、遠慮せずに声をかけてみてくださいね。
日本ではパスタに箸も使う
和風の味わいのパスタで人気な「洋麺屋五右衛門」では、「本場イタリア産の食材を使った日本生まれのスパゲッティ」として、お箸で食べることをすすめています。確かに、日本人にとって馴染み深いお箸で食べられると安心しますね。しかし、お蕎麦やうどんのようにすすってしまわないかちょっと心配でもあります。

反時計回りにフォークを回すと不幸に!?

イタリアでは、反時計回りにフォークを回すと不幸が訪れるという言い伝えが信じられています。これは、反時計回りにすると、ソースがはねたときに向かいに座っている食事相手の方へ跳ねてしまうためではないかと考えられています。

フォークの歯はなぜ四本になったか

そのカタチ・大きさになるまで延々と進化の歴史がある。最初は肉を適当な大きさに切り裂くナイフだけたったそうな。それが肉が動かないように押さえつけるために、もう一本のナイフを用いるようになる。ただ、(やってみれば分かるが)ナイフで押さえつけると肉がクルクル回ってしまって不便だ。その結果、又の分かれたモノ:フォークが誕生する。

 それなら、フォークは2本歯で事足りるはずだが、どっこい2本だけだと突き刺した食べ物が滑り落ちてしまう。あるいは小さい欠片は歯の隙間からこぼれ落ちるということで、歯が3本になる―― とあるのだが、残念なことに、歯が3本から4本になった理由まで明かされていない(後で調べたところ、パスタをフォークで食べるために3→4本になったそうな)。5本や6本歯のフォークもあるにはあるが、装飾のためであって、(これもやってみれば分かるが)今度は突き刺した食べ物が抜き取りにくいという弊害が出てくる。無理なく口に入る幅と当時の冶金技術も相まって、フォークの歴史を考える。

 それだけではない。今度は、フォークのカタチが食卓に与えた影響力も考察される。つまり、フォークの歯が増えたことにより、フォークを突き刺す役割から「乗せて食べる」道具として使い出すようになる。さらに、フォークをナイフのように扱い(煮野菜を切るとか)、ナイフが食卓から駆逐されはじめる。

 今は見かけないが、「左端の歯だけ幅広のフォーク」があった。なぜ一番左の歯だけ幅があるのか、ずっと疑問に思っていた――これはカッティング・タイン(切断歯)だそうな。つまり、食事におけるナイフの役割をほとんどフォークが代行するようになったとき、軟弱な歯では曲がってしまったため、左端をナイフのように加工したという。もちろん子どもの口に入れるフォークだからナイフのように切れはしないが、その名残りなんだなーと思うと感慨深い。

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