9月12日(宇宙の日・マラソンの日・鳥取県民の日)

9月12日(くがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から255日目(閏年では256日目)にあたり、年末まであと110日ある。

宇宙の日

毎年9月12日は「宇宙の日」です。
1992年は、世界中が協力して宇宙や地球環境について考えようという年、国際宇宙年(ISY)でした。
「宇宙の日」はこれを記念して制定され、一般の方々からの公募により、毛利宇宙飛行士がスペースシャトルで宇宙へ飛び立った日である9月12日となりました。
(ちなみに’92年の読み方と9月12日の読み方は同じ九十二で、日本語の語呂合わせになっています。)

日本でも、この国際宇宙年をきっかけに末永く宇宙の普及活動を行うこととなり、以降「宇宙の日」を記念した記念行事を毎年実施しています。

宇宙食として宇宙に行った日本の食品

初期の宇宙食はチューブに入ったペースト状のものなど、離乳食に近いものであり、宇宙飛行士からの評判も悪かった。その後、人は無重量状態でも問題なく食べ物を飲み込め、消化できることが分かり、宇宙食の種類は豊富になり、現在では1000種ほどもある。

保存性・栄養・食感・軽量性の面でも優れたフリーズドライ食品は、多くの宇宙食に採用されている。宇宙に行った日本の食品としては、例えば、白飯や赤飯、手巻き寿司、レトルトカレー、たこ焼き、梅干し、焼き鳥、肉じゃが、みそ汁、ようかんなどが挙げられる。せんべいは粉が飛び散ってしまいそうだが、実際に若田光一が特別食として持ち込み、スペースシャトル内で食べている

汁が飛び散るラーメンは宇宙食に不適な食品の代表格であったが、日清食品が開発した「スペース・ラム(Space Ram)」という名称のインスタントラーメンを野口聡一が持ち込んでいる「スペース・ラム」という名前は「宇宙ラーメン(Space Ramen)」という意味だと思われる。

この「宇宙ラーメン」とも呼ばれるスペース・ラムは、カップヌードルをベースにしているが、普通のカップ麺とは異なり、袋の中に約70度の低温の湯を入れて、柔らかくなった円筒状の麺の塊をフォークや箸で食べる。

スープは液体だと飛び散るため、とろみを付けて少量を麺にあらかじめ絡ませてある。満足感を増すために、やや香辛料を効かせた味になっており、しょうゆ・みそ・カレー・とんこつの4種類の味が用意されている。

しかし、日本の食品の中には宇宙食として持ち込みができなかったものもある。それが日本の発酵食品「納豆」である。

かつて毛利衛が納豆を宇宙に持って行こうとNASAに承認を求めた納豆の臭いの点については問題なかったが、納豆のネバネバの糸が宇宙空間で広がり、それが機材に付着し、故障の原因になるという理由でNASAに持ち込みを断られたという。

宇宙で生命が生まれる確率は?

バラバラ分解した時計の部品を25mプール(50m説も有)に入れ、 プールの水をかき回し、水の流れだけで時計が組み上がる確率と同じ。

・有名な例えですよね。これ、実は正確性はなく「まずありえない確立」という表現なんです。

・宇宙で生命が誕生する確立を数値で表すと
0.0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%
です。

それだけ私たちの住む地球は奇跡の星ということですね。そこに生まれた私たちも奇跡です。

マラソンの日

紀元前450年のこの日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われている。

1896年(明治29年)にアテネで第1回オリンピックが開かれるに当たり、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われた。

距離が42.195kmの由来

1920年(大正9年)の第7回オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていた。しかし、1924年(大正13年)の第8回パリオリンピックから規格統一が検討され、その際に1908年(明治41年)の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至る。

第4回ロンドンオリンピックでは、当初、ウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの26マイル(41.843km)の予定だった。しかし、王妃アレキサンドラがバルコニーから見えるように「スタート地点を宮殿の庭に」などの要望で385ヤード(0.352km)延びたという逸話があり、結果的に26マイル385ヤード(42.195km)となった。

制止を振り切って走る女性がマラソンの歴史を変えた

黒いスーツの男性は女性が走るのをやめさせようとしている。この女性の制止を振り切って走る強い意志と行動が女子マラソンの歴史を変えていった。

今では女子マラソンは当たり前になっているが、この写真が撮影された1967年(昭和42年)当時、女性は「ひ弱すぎる」「マラソンが女性らしさを失わせる」などの色んな偏見の理由があって男子が参加するマラソン大会に女子が参加できなかった。

当時20歳の学生だったキャサリン・シュワイツァーさんは性別を隠しゼッケンを獲得してボストンマラソンに出場した。しかし、10kmを過ぎた頃に大会当局者が走るのを妨害し、コースから押し出そうとした。これに対して一緒に参加した友人たちがその妨害を阻止している。彼女は「レースに参加できるのは男性だけと明記はなく、ただ走りたかった」という理由でレースに参加し、4時間20分で完走した。

この写真が大きく取り上げられたことで、女性のマラソン参加への気運が高まっていった。この出来事から5年後にボストンマラソンで女子の参加が認められた。そして、1984年(昭和59年)のロサンゼルスオリンピックから女子マラソンが正式な種目となった。

2017年(平成29年)4月17日に70歳になったシュワイツァーさんが50年ぶりにボストンマラソンに出場した。当時のタイムにはわずかに届かず4時間44分31秒だったが、見事に完走を果たした。

マラソンコースの距離を測る方法マラソンコースができるまで

フルマラソンのコース距離は42.195kmだが、その距離を正確に測るのは簡単ではない。その計測は厳密な方法により行われる。

現在の技術だとGPSで距離を測ることも可能だが、GPSのみの計測では誤差が出てしまい、大きな問題が発生する。それは、マラソンコースの距離が1cmでも短い、または42m以上長い場合にはその記録は無効になってしまうためである。42mはマラソンの競技距離の1000分の1の距離に当たる。

実際、2015年3月15日に行われた横浜マラソンでは、大会後に距離が186.2m短かったことが判明し、参加者たちの記録が非公認になったという出来事も起きている。そのため、マラソンコースの距離の計測は厳密に行われる

距離の計測

その方法とは、「自転車」で計測するというもので、専門の計測員が計測を行っている。その自転車の車輪には走行距離に応じて数値を刻むカウンター(距離計)が付けられていて、カウンター付きの自転車で実際にコースを走行して計測される。そして、カウンターの数値から計測した走行距離と、GPSなどで計測したおおまかな距離を照らし合わせ、cm単位でコースを修正する。

一般の多くの人が自転車に乗れるが、自転車での距離の計測は誰にでもできるわけではい。普通の人は自転車で真っ直ぐ走っているつもりでも多少のふらつきがある。このふらつきからくる小さな誤差が、コース全体では大きな距離の差になってしまう。

そのため、専門の計測員はふらつきを防ぐため、自転車を真っ直ぐ走行させるトレーニングを日々積んでいる。また、「コース計測員」という専用のライセンス(資格)が必要となる。それでも万が一の計測ミスを防ぐため、計測は3人で行われ、その計測結果を照らし合わせて距離を確認する。3人の平均値で距離を求めるという情報もある。

また、この計測はランナーが走るラインに沿うために、基本は道の路肩から30cmのラインどりがルールとなっている。マラソンの距離は細かなルールの中で、自転車でふらつくことなく計測が行われる。

マラソンコースの計測は、これでも昔に比べて楽になっている。今のようにGPSや自転車を使う計測方法がなかった1964年の東京オリンピックの際には、今よりもずっと多くの人手と手間がかかっていた。

その方法とは、「竹」を使って計測するというものである。竹を薄く削いで50mの竹尺を作った。竹が使われた理由として、竹はよくしなるため曲線を計測しやすいこと、湿気などで伸び縮みしにくいことが挙げられる。

当時その竹尺を使って、50mを測っては次の50mを測る、という作業をひたすら繰り返していた。42.195kmを測るのに必要な回数は844回にもなる。30人がかりで何日もかけて計測したと言われている。

鳥取県民の日

鳥取県が1998年(平成10年)に条例で「とっとり県民の日」として制定。

1881年(明治14年)のこの日、1876年(明治9年)に島根県に編入されて消滅した鳥取県が、島根県から分離して鳥取県が再び設置され、現在の鳥取県が誕生した。

「とっとり県民の日」を定めた条例では、「ふるさとについての理解と関心を深めるとともに、ふるさとを愛する心を育て、もって自信と誇りの持てる鳥取県を力を合わせて築き上げることを期する日」とされている。

「鳥取県」の県名の由来

「鳥取」の名称は、大和朝廷時代の職業部である「鳥取部」(ととりべ)に由来する。

鳥取部は文字通り鳥を捕まえる職人たちのことで、死者の魂を運ぶ神聖な鳥と考えられていたオオハクチョウを捕獲して朝廷に献上していた。

この鳥取部たちの領地が「鳥取郷」と呼ばれ、江戸時代に鳥取城が築城されたことで城下町として発展し、明治に県庁が置かれたことで「鳥取県」となった。

鳥取県の人口
560,517人
47位/47都道府県(日本の総人口の0.44%)

鳥取砂丘

鳥取砂丘は日本最大の砂丘だと思われがちだが、実際には国内2位である。
青森県にある猿ヶ森砂丘が日本最大で鳥取砂丘の30倍の広さがありますが、自衛隊の施設になっているので立ち入りが禁止されています。

鳥取砂丘は無理やり砂丘にしている

鳥取砂丘は草むしりをしないと勝手に草が生えて、草原になってしまう。

これには砂丘の近くに防風林を造った事が影響している。防風林により風があまり吹かなくなり、砂が飛ばされなくなった。砂がその場所に留まると、鳥などが種子を運んできたり、風で吹かれてくるため、草が生えるようになった。そこで、ボランティアの人達が草を抜いて砂丘を維持している。

1970年頃から本来生えていない外来植物が目立つようになり、1991年頃には砂丘の半分近くが雑草などで緑に覆われるようになった。砂丘の草原化が深刻な問題になり、美しい砂丘を維持・保全するために、2004年度からボランティアによる除草が始まった。観光客による除草体験も行われており、草むしりをする事で砂丘が維持されている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました