8月15日(津川雅彦長女誘拐事件。)

8月15日(はちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から227日目(閏年では228日目)にあたり、年末まであと138日ある。

昭和49年 – 津川雅彦長女誘拐事件。

津川雅彦

本名は加藤 雅彦(かとう まさひこ)。妻は朝丘雪路、娘は真由子、父は澤村国太郎、母はマキノ智子、兄は長門裕之、祖父は牧野省三。その他の身内についてはマキノ家を参照。遠戚に宮川大輔。

  • 芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演していたが、本格的な銀幕デビューは16歳
  • 昭和31年の日活映画『狂った果実』石原裕次郎の弟役
  • 石原慎太郎が芸名を津川 雅彦と命名。「津川」の名は石原の小説『太陽の季節』のメインキャラクター「津川竜哉」から付けられた。
  • 昭和44年のデヴィ・スカルノとの不倫騒動をきっかけに仕事が激減
  • 必殺シリーズの悪役に起用され、再びブレイク

朝丘雪路
結婚するまで自分でお金を払って買い物をした経験が全くなく、結婚してからは買い物はすべて1万円札で支払っていた。そのため、お釣りの千円札や硬貨が溜まりに溜まり、ある日、薬を探していた津川が引き出しから小銭の山を発見して仰天する(本人はそれら硬貨がお金とは知らず、無論、金銭感覚も一般とズレていたため、言われるままに多く支払っており、常に一緒に行動する付き人が注意を払っていたという)。

家事の一切も苦手であり、「火が怖い」「洗濯機が使えない」「掃除機の使用方法が分からない」ほどであった。

娘が乳児だった頃もオムツ替えは家政婦に任せており、生涯、家事全般を事務所のスタッフと家政婦が代行していた(津川が思わず「我が家には主婦がいないんだねぇ」と呟いた際には「私も家事の出来る奥さんが欲しいわ」とあっさり言ってのけたという)。

津川雅彦長女誘拐事件。

津川雅彦長女誘拐事件(つがわまさひこちょうじょゆうかいじけん)は、昭和49年に起こった誘拐事件。誘拐された女児は著名な俳優である津川雅彦と朝丘雪路の娘(真由子)であったため、注目を集めた。

昭和49年8月15日午前3時、東京都世田谷区の津川雅彦・朝丘雪路宅2階から長女・真由子(まゆこ・当時生後5カ月)が誘拐され、身代金500万円が要求される。犯人は身代金を第一勧業銀行(現:みずほ銀行)の偽名口座に振り込むことを要求し、津川は警察の指示に従って当日に150万円を指定の口座に振り込んだ

当時の銀行では口座を作る際に本人確認は行われておらず現金と印鑑さえあれば偽名でも開設することが可能であった。更に、当時のオンラインシステムから得られる情報では口座からの引き出しが行われたCD機の特定もできなかったため、振込先の口座情報から犯人を辿ることは困難であった。そのため、警察は第一勧業銀行の全店舗に人員を配置し、取引発生のたびに捜査員がCD機周辺の顧客を包囲して犯人を捜すという大掛かりな作戦を展開したが、誘拐犯の特定にはつながらなかった。

この間、第一勧銀事務センターのSEが、CD機の営業時間終了の8月15日17時を待って突貫作業でソフトウェアを書き換え、翌日8月16日には取引CD機が特定できるようにし、第一勧銀と子会社の常陽銀行のオンラインシステムが更新された。

この結果、8月16日正午、第一勧業銀行東京駅南口出張所のCD機から2000円、続いて29万円を引き出されたことが判明。張り込みの刑事がただちに該当する23歳の男の身柄を確保。男が所有していた暗証番号とカード番号が一致したことを問い詰めると犯行を自供したため、同日午後5時に逮捕された。人質は犯人の家である千葉県我孫子市のアパートにおり、同日午後7時15分、41時間ぶりに発見され無事に保護された。

犯人の男は当初、佐川満男・伊東ゆかり夫妻の長女を誘拐する予定だったが、住所がわからなかったため、津川夫妻の長女に変更した。

その後の捜査で、犯人は津川の家庭状況や自宅の住所・間取りなどの知識を週刊誌等で得ていたことが判明した。裁判では犯人に懲役12年6カ月が確定した。

本事件は被害者が有名人の子供ということと、身代金の受け渡しに当時普及したばかりのCD機を利用したものだったことから世間の注目を集めた。なお、人質だった長女は、成人後の平成10年に女優としてデビューしている。

津川への影響

当時、従前は演じる事が多かった主役での出演にこだわっていたため仕事が来なかった津川は経済的に妻に依存しており、犯人から要求された身代金も妻が捻出した。このことがきっかけで津川は「役者のこだわりよりもこの子のために何でもやって頑張るんだ」「とにかく片っ端からいろんな役をやってみよう」と一念発起し、役者としての幅が広がる結果となった。

自身が役者であったばかりに危険にさらされた娘に対し呵責を感じており、「彼女にとって世界一の父親になってやろう」と決意した津川は子煩悩になり、真由子に尽くした。津川は後に「誘拐犯はある意味、恩人と言ってもいいかもしれない」と振り返っている。娘のトラウマになることを恐れた津川は、事件について語ることなく過保護にもならないよう気を使いながら真由子を育てており、物心ついた本人が事件のことを初めて知ったのは、通っていた中学校で教師から教えられたときであった。

津川は2013年7月から北朝鮮による日本人拉致問題の啓発ポスターでモデルを務めていたが、拉致問題担当大臣だった古屋圭司によると、津川は古屋の依頼に対し「私は、かつて子どもが小さかった時に、誘拐されたことがあるんです。無事で帰ってきたからいいけれど、北朝鮮に何十年も(子どもを)拉致されたままの親の気持ちって、すごく分かるんですよ。ぜひ引き受けましょう!!」と語っていた。

昭和2年 – 菅原都々子、歌手

菅原 都々子(すがわら つづこ、昭和2年8月6日(ただし戸籍上は同年8月15日))は、日本の女性歌手。本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)で、旧姓は菅原。通称「エレジー(悲歌)の女王」。独特の哀愁を帯びた個性的なビブラート唱法が特徴で、「NHK紅白歌合戦」の記念すべき歌唱者第1号(最初に歌った歌手)として著名。また、第1回NHK紅白歌合戦に出演した最後の存命者でもある。特定非営利活動法人 名曲慰問団 名誉顧問として老人福祉施設にボランティア活動を行っており、90代に入った今でも歌謡番組に定期的に出演している。

  • 青森生まれ
  • 父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)
  • 9歳の時にオーディションのために1人で上京させられて、その際に古賀政男に認められたことから「古賀久子」の名をもらい養女となる。
  • 養父・古賀が作曲した『お父さんの歌時計』でデビュー
  • 独特のビブラートが掛かったうなり節、悲壮感のある声質
  • 「エレジー(悲歌)の女王」との異名をとるようになった
  • 『月がとっても青いから』これはエレジーものが飽きられ始めたため、父・陸奥がイメージチェンジを賭けて売り出した曲。現在の市場規模の30分の1の時代、100万枚を超える大ヒットとなり、この曲で歌手としての地位を不動のものとする。

記号ではなく漢字の言葉

部首:丿
画数:2画
訓読み:しめ

「〆切り(しめきり)」などで用いられる「〆」という字は、苗字や地名にも用いられている立派な漢字です。

部首:丿
画数:2画
音読み:ガイ
訓読み:か(る)、おさ(める)

乂とは、草を刈るという字で、刈のもとになった字である。

部首:|
画数:3画
音読み:ア
訓読み:あげまき

アルファベットの「Y」に似ていますが、こちらもれっきとした漢字。

二又の枝やあげまきを表す漢字である。アルファベットのYとは無関係。

あげまき(総角)は童子の髪型の一種で、髪を左右で分けて耳の上あたりに髷を結ったもののこと。

香港の「南丫島(ラマとう)」という島の名前に使われています。


部首:凵
画数:5画
音読み:トツ
訓読み:でこ


部首:凵
画数:5画
音読み:オウ
訓読み:ぼこ、くぼ(む)、へこ(む)、へこ(ます)

凸凹は「でこぼこ」、凹凸は「おうとつ」。
順番を入れ替えると、訓読みと音読みが入れ替わってしまいます。

部首:囗
画数:1画
音読み:レイ
訓読み:まる

『新漢英字典』が「「〇」は「マル」と「レイ」という「音読み」と「訓読み」があるから「漢字」だ」と言っています。

部首:十
画数:4画
音読み:ジュウ
訓読み:にじゅう

「十」という漢字は数の10を表しますね。
そして「廿」は20を表す漢字です。

「廿」は広島の「廿日市」に使われています
学校では習いませんが、廿日市市(はつかいちし)を擁する広島県民はみんな知っている漢字なのだそうです。

部首:十
画数:5画
音読み:セ、セイ、ソウ
訓読み:よ、みそ、さんじゅう

「十」を3つ重ねたものだから、丗は「三十」の意味。

ちゃんと「さんじゅう」で変換できる。すごい。

部首:十
画数:5画
音読み:シュウ
訓読み:よそ、よんじゅう、しじゅう

卌とは、40を表す漢字である。

「丗(さんじゅう)」があるなら「よんじゅう」も、と思ったらやっぱりありました。

部首:十
画数:6画
音読み:パン、マン
訓読み:まんじ

一方、実は漢字ではない「々」

※これは漢字ではありません

「々」は踊り字と呼ばれる記号の一つなので、漢字としての読み方はありません。

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