8月12日(日本航空123便墜落事故)

昭和60年 – グリコ・森永事件

犯行グループから「終息宣言」が送付され、以降動きが途絶える。

グリコ・森永事件とは、昭和59年と昭和60年に、日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。

警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ばれる。

平成12年2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、すべての事件の公訴時効が成立し、この事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。

昭和59年3月、江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。

その他、昭和59年5月と9月、昭和60年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。

江崎グリコ社長誘拐事件

昭和59年3月18日21時ごろ、当時兵庫県西宮市に居住していた江崎グリコ社長江崎勝久の実母宅に拳銃と空気銃を構えた2人の男が勝手口を破って押し入り(家の外には車の運転手役の男がおり、犯行は3人組の男が実行している)、同女を縛り上げて社長宅の合鍵を奪った。2人組はそのまま隣家の社長宅の勝手口から侵入、社長夫人と長女を襲い、2人を後ろ手に縛って脇のトイレに閉じ込めた。その後、2人の男は浴室に侵入。長男、次女と入浴中だった社長を銃で脅し、全裸のまま誘拐した。夫人はこの後、自力でテープをほどいて110番通報。

翌3月19日1時ごろ、大阪府高槻市の江崎グリコ取締役宅に犯人の男から指定の場所に来るよう電話がある。取締役が指定場所に向かうと、社長の身代金として現金10億円金塊100kgを要求する脅迫状があった。

この段階から、兵庫県・大阪府にまたがる重大事案として、兵庫県警察本部、大阪府警察本部による合同捜査体制が始まる。その後、犯人の男から電話があり別の指定場所に身代金を持って来るよう要求したが、結局犯人は現れなかった。犯人グループが要求した現金10億円は高さ9.5メートル重量は130kg、これに加えて金塊100kgでは運搬が困難であり、合同捜査本部ではどこまで犯人グループが本気で要求していたのかいぶかる声もあったが、要求に従ってグリコはそれらを用意した[3]。社長の母や社長夫人が犯人に対して「お金なら出します」と言ったにもかかわらず「金はいらん」と犯人が答えたこと、身代金誘拐が目的なら抵抗される可能性が少ない7歳の社長長女を誘拐するほうがリスクが少ないのにわざわざ成人男性である江崎を誘拐していることなどが身代金目的の誘拐としては不可解な点であり、金目的ではなく怨恨が犯行の原因という説の根拠となった。

その後、誘拐事件は急展開する。事件から3日後の3月21日14時30分ごろ、国鉄職員から110番通報を受けた大阪府茨木警察署によって江崎が保護された。江崎の証言によると、大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる安威川沿いにある治水組合の水防倉庫から自力で抜け出したとされ、対岸に見えた大阪貨物ターミナル駅構内へ駆け込み、居合わせた作業員達によって無事に保護された。

昭和60年 – 日本航空123便墜落事故。

日本航空の羽田発伊丹行きのボーイング747型機が、群馬県の高天原山の山腹「御巣鷹の尾根」に墜落。乗客乗員520名が死亡。4人が生還(発見は翌13日早朝)単独機としては世界最悪の航空事故。

生存者の救出

生存者は4人で、発見の順番に非番の客室乗務員の26歳女性、34歳女性と8歳の女子小学生の母子、12歳の女子中学生であった。

自衛隊への派遣要請はなぜ遅れたのか

事故直後、自衛隊の部隊が非常呼集発令で出動し、高速道路で移動したところ料金所で通行料を請求され、作業服で出動したため財布を携行しておらず、隊員が少しずつ金を出し合って支払ったという。

事故死した著名人・大企業の重役など

  • 坂本九(歌手) – NHK-FM放送で『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』[注釈 52]の収録後、友人の元マネージャーの選挙応援として、翌日の事務所開きに出席するため大阪に向かう途中]。
  • 北原遥子(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役) – 帰省先の横浜の実家から大阪の友人に会いに向かう途中。
  • 中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)、石田一雄(阪神電気鉄道常務取締役) – 以上2名は久万の代理で、都内で開催された日本民営鉄道協会の会議の帰途。
  • 石野喜一(神栄石野証券代表取締役社長)
  • 浦上郁夫(ハウス食品工業(現・ハウス食品グループ本社)代表取締役社長) – グリコ・森永事件の終息を父の墓前に報告するために大阪に向かう途中。
  • 塚原仲晃(医学博士・大阪大学基礎工学部教授) – 1986年から開始予定であった文部省特定研究「脳の可塑性」の責任者として同研究に関する文部省との打ち合わせの帰途。
  • 辻昌憲(元自転車競技選手・シマノレーシング監督) – グリーンピア三木で行われるシマノグリーンピアロードレース大会開催のため都内の日本アマチュア自転車競技連盟での打ち合わせの帰途。
  • 竹下元章(元広島カープ捕手、指月電機製作所社員) – 第67回全国高等学校野球選手権大会の群馬県代表となった東京農大二高野球部在籍の高校2年生の息子を応援のために甲子園球場へ向かう途中。
  • 緋本こりん(同人漫画家) – 11日に都内で開催されていたコミックマーケットにおけるアニメ雑誌『ファンロード』関連のイベントに参加してからの帰途。
  • 藤島克彦(コピーライター) – 東京出張からの帰途。
  • 山本幸男(ミサワホーム専務取締役) – 大阪での会議に向かう途中。
  • 和田浩太郎(美容研究家、ミス日本審査員、和田静郎の長男)- 友人であるタレントの稲川淳二が出演する健康番組「稲川淳二のためになる話」の収録の手伝いをした後、自身の用事で大阪に向かう途中[注釈 55]。

搭乗予定を変更して難を逃れた著名人

  • 明石家さんま(お笑いタレント) – 夜の「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)に出演するために搭乗予定だったが、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)の番組収録が早めに終わり、一便早い全日空便に振り替えたため。
  • 麻実れい(女優) – 当便に搭乗する予定であったが、仕事が予定より早く終わり、一便早い飛行機に振り替えたため。
  • 逸見政孝(当時フジテレビアナウンサー)とその家族(晴恵・太郎・愛) – 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、妻・晴恵が飛行機嫌いであることに加え、長男・太郎が直前になって「新幹線のほうが安いから」と提案して変更したため[115][117]。
  • 稲川淳二(タレント) – 東京で健康番組「稲川淳二のためになる話」の収録を終えたあとに大阪入りするため搭乗予定だったが、体調不良のため翌朝の東海道新幹線で移動することにしたため。しかし、同番組を手伝っていた前述の和田浩太郎が当便に搭乗し犠牲となった。
  • 久万俊二郎(阪神電気鉄道社長・阪神タイガースオーナー) – 前述の日本民営鉄道協会の会議に出席し終了後に当便で帰阪する予定だったが、私用で出席できなくなったことにより、中埜・石田の両名が代理で出席した。
  • 佐々木正(電子工学技術者、シャープ副社長) – 大阪の実家に帰省するために搭乗予定だったが、毎年年末に恒例となっていたフィリップス本社の社長との会食がフィリップス側の事情で事故当日に前倒しになりキャンセルをしたため[117][注釈 56]。
  • 勝谷誠彦(コラムニスト) – 搭乗予定だったが、友人に会いに京都市へ向かうために東海道新幹線で移動することにしたため。
  • 当時の笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久扇(当時、初代木久蔵)、林家こん平、三遊亭小遊三、六代目三遊亭円楽(当時、楽太郎)、7代目桂才賀(当時、古今亭朝次)、山田隆夫)- 13日の徳島での阿波踊りに参加するために予約した徳島便が遅延。更に徳島空港悪天候のため予約便が条件付き運行となった。そこで、当便に搭乗して神戸から船で徳島入りする案が出たが、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案し徳島便に搭乗したため。しかし、同行予定だった広告代理店の数名は当便に搭乗し犠牲となった。
  • ジャニー喜多川(芸能プロモーター・音楽プロデューサー・ジャニーズ事務所代表取締役)、少年隊(ジャニーズ事務所所属ユニット)のメンバー(錦織一清、植草克秀、東山紀之) – 以上4名は事故前日に大阪の新歌舞伎座で幕を開けた舞台「森の石松」主演の近藤真彦の応援のために搭乗予定だったが、ジャニーは初日に近藤が記者会見を開くので来て欲しいと要請を受けたため前倒しで大阪入りし、少年隊は東京に残った。

明治40年 – 淡谷のり子、歌手(+ 1999年)

淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 – 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の日本の女性歌手。日本のシャンソン界の先駆者。愛称は「ブルースの女王」。叔父は政治家の淡谷悠蔵。

  • 青森市の豪商「大五阿波屋」の長女として生まれる。
  • 10代の頃に実家が破産
  • 学校を1年間休学して絵画の裸婦のモデルを務めるなどして生活費を稼いだ
  • 当時は「霧島のぶ子」を名乗っており
  • 昭和10年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号
  • 日中戦争が勃発した昭和12年に「別れのブルース」が大ヒット

代表曲

  • 夜の東京(1930年)
  • ラブ・パレード(1930年)
  • 私此頃憂鬱よ(1931年)
  • 嘆きの天使(1931年)
  • 二人の恋人(1933年)
  • 私の故郷(1933年)
  • ヴェニ・ヴェン(1934年)
  • 青い小径(1934年)
  • ドンニャ・マリキータ(1935年)
  • ポエマ(1935年)
  • ヒターナ・ヒターナ(1935年)
  • 思い出のカプリ(1935年)
  • バルセロナ(1935)
  • 伊太利の庭(1935)
  • リラは咲けど(1935)

大阪府の基本データ

府庁所在地大阪市
地方近畿地方
都道府県コード番号27
大阪府の花ウメ、サクラソウ
大阪府の木イチョウ
大阪府の鳥コマドリ
キャッチコピー『水都大阪』

「大阪府」の府名の由来

「大阪」の由来についてははっきりと分かっておらず諸説存在するが、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の僧「蓮如(れんにょ)」が1533年に大阪平野(おおさかへいや)の上町台地北端の小高い丘に「石山本願寺」を建て、その地を「大坂」と呼んだのが始まりとされる。

石山本願寺が勢力を伸ばすにつれて大坂の呼び名が広まっていったが、1580年に石山本願寺が焼失すると同じ場所に「大坂城」が建てられ、その地が大坂発展の中心地になるとともにその頃には大坂の名称が定着した。

また、上町台地の先端ということから「小坂」や「尾坂」になり、それが「大坂」に変わったとする説もある。

大坂と呼ばれるようになる以前は「なにわ・なみはや」(浪速、難波、浪花、浪華)と呼ばれており、現在でも大阪の地名として残り親しまれている。

「大坂」から「大阪」へ

「大坂」と呼ばれるようになった当初は現在の「阪」ではなく「坂」の字が用いられたが、この字を分解すると「土に反る」と読めてしまい死を連想させるため、江戸時代頃から「阪」の字が使われるようになったとされる。
また、「坂」の字は「士が反する」と読むこともできるため、明治政府が使用を控えたとする説も存在する。

大阪府の人口 / 8,824,566人

3位/47都道府県(日本の総人口の6.97%)

1位 大阪市 2,725,006人
2位 堺市 831,017人
3位 東大阪市 496,082人
4位 枚方市 400,690人
5位 豊中市 398,295人

大阪府の面積 / 1,905.14km²

46位/47都道府県(日本の総面積の0.50%)

1位 大阪市
225.21km²
2位 堺市
149.82km²
3位 河内長野市
109.63km²
4位 高槻市
105.29km²
5位 豊能郡能勢町
98.75km²

大阪府の人口密度 / 4,632人/km²

2位/47都道府県

1位 大阪市
12,100人/km²
2位 守口市
11,174人/km²
3位 豊中市
10,945人/km²
4位 吹田市
10,547人/km²
5位 門真市
9,817人/km²

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