6月27日(ちらし寿司の日)

6月27日(ろくがつにじゅうななにち、ろくがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から178日目(閏年では179日目)にあたり、年末まであと187日ある。誕生花はホタルブクロ、サンダーソニア。

誕生日

大正3年 – 霧島昇、歌手(+ 1984年)

霧島 昇(きりしま のぼる、1914年(大正3年)6月27日 – 1984年(昭和59年)4月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名:坂本 榮吾。福島県双葉郡大久村(現・いわき市)出身。1970年(昭和45年)、紫綬褒章受章。

キーワード

  • 福島県双葉郡大久村(現:いわき市大久町)の農家の三男として生まれる
  • 中学に通いながらボクサーを目指すが断念
  • テノールの甘い声質と邦楽的技巧表現を生かした
  • 昭和12年に『赤城しぐれ』でデビュー。
  • 昭和13年に松竹映画『愛染かつら』の主題歌『旅の夜風』を当時大スターだったミス・コロムビア(本名・松原操=後に本名を芸名とする)と共に吹き込み大ヒット
  • 昭和14年にミス・コロムビアと結婚
  • 生涯に吹き込んだ数は3千曲を超えた。
  • 法規制される前後に夫婦でヒロポンを常用しており、深刻な中毒だったことがある。

記念日

ちらし寿司の日

株式会社あじかんが制定。岡山のちらし寿司「ばら寿司」が生まれるきっかけとなった備前岡山藩主・池田光政の命日。

ちらし寿司は倹約によって生まれた?

ちらし寿司の起源は諸説ありますが、その1つに1600年代の倹約令とするものがあります。海産物をふんだんに使い、錦糸卵などで飾ったちらし寿司は、現在では、比較的高級感のある食べ物とされていますよね。その起源が、正反対のイメージである倹約令にあるとは意外です。

倹約令が発布されたのは、1654年に備前 (現在の岡山県) が大きな洪水に見舞われたことによります。藩主である池田光政は、復興のために民に「一汁一菜」の倹約令を発布したとか。食事を著しく制限された民は、なんとかおいしく食事を……と、副菜としていた野菜や魚料理をご飯に混ぜ込み、一菜としました。これが、後の岡山名物「ばらすし (ちらし寿司の一種)」の原型だと言われています。

ちらし寿司には関東風と関西風がある?

実は、ちらし寿司もおせち料理のように地域性があります。関東では、ちらし寿司の上にさいの目に切った刺身などをのせるケースが多いようです。関西では生ものはあまり使わず、椎茸 (しいたけ) などを使用します。他にも京風のちらし寿司などもあり、地域によって具材が変わります。

寿司用語

加します。

呼び名一般的な名称解説
シャリ寿司飯釈迦の骨(仏舎利)に似て
いるから、また、米を研ぐと
きの音から
がり甘酢漬け生姜噛むときのガリッという音
から、また、根生姜をかん
なで削る音から
あがりお茶昔、お店で最初に出すお茶
を「お出花」最後を「あがり
花」といった
タネ(ネタ)寿司の材料寿司種(すしだね)の種の
こと。ネタというのは下品と
されている。
光りもの鯖・こはだ・いわし・さより・
キス・さんま等
寿司タネの中でも、魚の皮
の光っているものの総称
ヤマ笹の葉・葉蘭(ばらん)飾りに使う熊笹は山で取れ
ることから。現在はビニー
ルが主流
涙(なみだ)・さびおろしワサビ寿司には欠かせない薬味
だが、ききすぎると涙がで
る。
むらさき醤油(しょうゆ)もともと、宮中用語だった。
色からの連想でこう呼ばれ
る様になった
鉄火(てっか)まぐろの赤身
(鉄火巻き・鉄火丼)
賭博場(鉄火場)でバクチ
をしながら食べるのに考案
された。
カッパきゅうり河童の好物とされているか
ら。切り口が河童の頭に似
ているとも
ギョク玉子焼き玉の音読み。昔は、職人の
腕を見る目安だった。今は
既製品が多い
いなりあぶらげ寿司お稲荷様の使いの狐が油
揚げを好むと言われている
から。
づけ(マグロの赤身)まぐろの醤油漬け冷蔵設備が充分でなかっ
た頃、保存のため醤油に
漬けたから
いくら鮭の卵の塩漬けイクラは、もともとロシア
語。魚の卵という意味で
す。
たま赤貝赤貝の殻を剥いたとき生き
の良いものはぷっくりと丸く
なるから
ひも赤貝の身の外側赤貝の身の外にある膜状
の部分、加工するとひも状
になる
ぐんかん握りの種類
いくら・うに等
シャリ玉を海苔でまいて寿
司種を上に乗せたもの軍
艦型から
手巻き海苔巻きの種類すだれを使わないで海苔
巻きを巻くこと、粋ではない
という意見も
伊達巻(だてまき)海苔巻きの種類太巻きの外側を玉子焼き
で巻いた豪華な細工すし
技術を要する
鉄砲(てっぽう)かんぴょう巻きもっともシンプルな海苔巻
き・わさびを利かせると酒
のつまみにも
ちらし散らし寿司シャリの上に種を並べたも
の・「吹き寄せ」とも呼ばれ
五目(ごもく)五目ずしちらしと同類だが五目のシ
ャリには刻んで具を混ぜ込
はかりめアナゴ穴子の体の側面には天秤
量りの目盛りの様な点々模
様がある
カンヌキサヨリ大き目のサヨリをこう呼ぶ
が語源は調査中
おあいそ会計「お愛想づかしでしょうが、
お勘定をお願いします。」
から、お客様が使うと下品
ガレージ蝦蛄(しゃこ)車庫の駄洒落でガレージ
片思いあわび鮑は本来巻貝なのだが、
貝殻が片面にしかない様
に見えるから
ゲソイカの足(下足)下足(げそく)から、紋甲い
か・あおりいか・するめいか
など色々ある
新子(しんこ)こはだこはだは、大きさで呼び名
が変わります。最小を新子
中をこはだ、大をこのしろ
つめ煮詰め穴子やたこに付ける甘いタ
レ。
とろマグロの脂身口の中で融けるような感触
から昭和になってからの言
葉。江戸時代は赤身の方
が上等なものとされた。
えんがわ平目やカレイの体側部分平目やカレイのひれの付け
根部分で、独特の歯ごたえ
と旨みで人気

寿司の雑学

寿司を手づかみで食べるようになったワケ

和食は大抵、箸を使って食べるのが当たり前
しかし寿司は、手づかみで食べるのが、ツウと言われている

江戸時代、屋台寿司が大流行
当時の寿司は、おにぎりくらい大きかった
そのため箸で持ちづらく、手づかみで食べざる得なかった
その手づかみで食べる習慣が、現代にも残ったという

当時の江戸は、建設ラッシュで全国から労働者が集まっていた
ゆっくり昼食をとってられず、サクッと食べられる寿司が人気に彼らに来てもらうために寿司は、大きくなった
大きい寿司は人気となり、女性や子供も食べるようにその時にどうしても食べづらいということで、大きい寿司を半分に切って出すようになった
現在、2貫ずつ提供される寿司は、この名残り

寿司屋の湯飲みが大きいワケ

江戸時代に誕生した寿司屋
当時は、小さな湯飲みでお茶を出していた
寿司は、庶民に大人気で常に満員
当時の寿司屋は、調理から接客まで店主一人で
切り盛りしていたため、お茶のおかわりもかなりの負担だった
そこでお茶のおかわりを何度も頼まれないように大きい湯飲みに変えた

大きな湯飲みに変えたことで、客は汚れた手をお茶で洗うようになり、濡れた手をのれんで拭いて帰った、そのため昔は、のれんが汚れているほど繁盛している美味しい寿司屋の証だった

イクラの軍艦にキュウリが乗っている理由

それはイクラの量を減らすためではなく醤油を上手くつけるため
今ではワンプッシュ式の醤油さしがあるが、昔は、上に乗ったイクラに醤油をつけようとするとイクラがこぼれてしまい、シャリに醤油をつけるしかなかった

そんなときにキュウリを外して醬油につけて再び軍艦の上に戻すことでイクラの軍艦を適量の醤油で食べられる。

回転寿司の玉子には黄身が使われていない?

回転寿司の玉子だけではなく、コンビニやデパ地下なども同様。まったく知らなかった…。玉子の味がしていたのは気のせいだったのかもしれない。自分の舌を信じられなくなってきたよ…。

使われている着色料は、黄色4号・黄色5号・赤色102号などなど。これらの着色料は発がん性があることや、アレルギーを引き起こす恐れがあることがいわれてはいるが、日本では食品添加物として使用が許可されているものだ。

なんでわざわざ加工をしてまで白身だけを使うのか、黄身を使ったっていいじゃないかと思うがそうはいかない理由がある。

玉子は白身の方が圧倒的に安い

まずはコスト面だ。白身はタダ同然で手に入る。その理由はケーキやマヨネーズなどの加工食品で黄身を多く使い、白身だけが大量に余るためだ。

そのまま廃棄されるのが良いか、着色加工されるのが良いかは賛否両論あると思う。この安い白身を使えば利益率が高まることを考えると、企業が手を出してしまう気持ちもわからなくはない。

玉子は白身の方が圧倒的に長持ちする

次に保存面だ。着色料とともに、卵液には保存料など多くの食品添加物が加えられる。そのため作られた玉子焼きは、常温で2週間おいても腐ることがないらしい。恐ろしい…。

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