5月28日(「船場吉兆」が廃業)

5月28日(ごがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から148日目(閏年では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。誕生花はアマリリス。

歴史

昭和9年 – 幼児期以降まで成長した世界初の五つ子、ディオンヌ家の五つ子姉妹がカナダのオンタリオ州において出生。

ディオンヌ家の五つ子姉妹 (Dionne quintuplet sisters) は、全員が幼児期以降まで成長した世界最初の五つ子として知られる。カナダのオンタリオ州カランダー(英語版)近郊において、1934年5月28日に出生した。「奇跡の赤ちゃん」として出生直後から注目を浴び、世界恐慌当時の不屈の精神と喜びの世界的なシンボルとなった。

予定日よりも2ヶ月早い早産だった。オンタリオ州政府(英語版)は翌1935年に「ディオンヌ家の五つ子後見法」を成立させて両親の親権を剥奪してしまい、彼女たちは産科医のアラン・ロイ・ダフォーの保護下に置かれ、9歳まで両親と離れて暮らさなければならなかった。関係者はそのうち、彼女たちが暮らす保育所周辺をカナダの代表的な観光地「クイントランド」にすることで利益を得るようになった。

多胎児

多胎児(たたいじ)とは、同じ母親の胎内で同時期に発育して生まれた複数の子供である。多生児ともいう。つまり、双子(ふたご)・三つ子などの総称だが、三つ子以上を意識した呼び方である(多胎児と表現する時は、双子を除いている場合もある)。三つ子以上を限定して指す場合、スーパーツインズ (supertwins) と言う。なお、類人猿(ヒト上科)の多胎妊娠および多胎出産は非常に珍しいが、多胎は多くの哺乳類(犬や猫など)で一般的に観察される出生形態の一つである。

出産の時には数分から一時間程度の時間差で産まれる事が多いが、記録では数十時間から数十日の間隔が開いて生まれる場合もあるので、誕生日・誕生年が異なる兄弟姉妹もいる。また日本では後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習があったが1874年12月13日の太政官指令により生まれた順に兄弟が定まるようになっている。

昭和35年 – トキが国際保護鳥に指定。

トキ(朱鷺、鴇、桃花鳥、学名 : Nipponia nippon)は、ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。本種のみでトキ属を構成する。

2019年時点の個体数は、中国が2,600羽、日本が600羽、韓国が363羽。

学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、日本の国鳥はキジであるが、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれることもある。新潟県の「県の鳥」、同県佐渡市と石川県輪島市の「市の鳥」である。

平成4年 – 歌手の藤山一郎が国民栄誉賞を受賞(存命中の受賞はスポーツ選手以外では初)。

平成4年)5月28日、藤山は国民栄誉賞を受賞した。受賞理由は「正当な音楽技術と知的解釈をもって、歌謡曲の詠唱に独自の境地を開拓した」、「長きに渡り、歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与え、美しい日本語の普及に貢献した」というものであった。また、スポーツ選手以外で初めて存命中に受賞した。

池井優によると、藤山の受賞を決定づけたのは1992年3月28日(土曜日)19:30から20:55までNHK総合で放送されたテレビ番組『幾多の丘を越えて – 藤山一郎・80歳、青春の歌声』である。この番組を見た衆議院議員・島村宜伸が当時自由民主党の幹事長であった綿貫民輔に国民栄誉賞授与の話を持ちかけたことで政府が検討に入ることになった。また、NHKのアナウンサー出身の参議院議員でかつて古賀政男の国民栄誉賞受賞に尽力した高橋圭三も福田赳夫を通じて政府に働きかけを行った。

藤山は娘を通じて受賞を打診され、受諾した。当初授賞式は4月25日に予定されたがこの時藤山は坐骨神経痛を患い入院中で、退院後の5月28日に延期された。授賞式会場の首相官邸に車椅子に乗って現れた藤山は中に入ると車椅子から降りて杖をついて歩き、東京音楽学校時代の恩師クラウス・プリングスハイムの指揮で声楽家増永丈夫として日比谷公会堂で独唱したベートーヴェンの『歓喜の歌』を伴奏なしで歌った。数十年ぶりクラシック音楽の増永丈夫と大衆音楽の藤山一郎を披露した。なお、スポーツ選手を除く国民栄誉賞受賞者の中では最初の存命中の受賞となった。1996年に上野恩賜公園内に設置された「日本スポーツ文化賞栄誉広場」には国民栄誉賞受賞者の手形が展示されており、藤山のものもある。

なお藤山は国民栄誉賞以外にも勲三等瑞宝章(1982年春)、紫綬褒章(1973年)、日本赤十字社特別有功章(1952年)、NHK放送文化賞(1958年)、社会教育功労章(1959年)、日本レコード大賞特別賞(1974年)などを受賞(受章)している。

平成20年 – 高級料亭「船場吉兆」が廃業。

船場吉兆(せんばきっちょう)はかつて大阪市中央区に存在した吉兆グループの高級料亭、並びにその運営会社である。

消費/賞味期限切れの菓子・惣菜の販売

2007年10月28日、船場吉兆が運営する福岡市岩田屋本館地下2階の「吉兆天神フードパーク」で、売れ残った「黒豆プリン」「桜ゼリー」「抹茶ゼリー(抹茶涼み)」「タルト」「ほうじ茶ケーキ」の5種類の菓子のラベルを毎日張り直し消費期限もしくは賞味期限の表示を偽装していたことが明らかとなった。

地鶏の産地偽装

2007年11月9日、大阪市中央区の本店でも、佐賀県産の和牛を「但馬牛」、ブロイラーを「地鶏」、等と表示を偽装していた事が判明した。産地や原材料を偽装していた物は合計で10商品に上っている。

みそ漬けの産地偽装

「牛肉みそ漬け」「牛肉みそ漬けと鶏肉みそ漬けセット」「牛肉みそ漬けと明太子セット」の三つのセットの原材料として、佐賀県産と鹿児島県産の牛肉を使って加工した商品を箱詰めした。そのうえで「但馬牛(たじまうし)」「三田牛」などと表示したシールをはり、東京都内のギフト販売会社と大阪市内の阪急百貨店に計101個を納入した疑い。この三つの商品は約3万 – 約1万5000円で販売していたという。

無許可での梅酒製造及び販売

船場吉兆が、酒類の製造を行うのに必要な酒税法上の許可を得ずに梅酒を製造していたことが明らかとなった。

客の食べ残しの再提供

4店舗全店で客が残した料理をいったん回収し、別の客に提供していた[8]。

「天ぷら」は揚げ直して出すこともあり「アユの塩焼き」は焼き直し「アユのおどり揚げ」は二度揚げしていた。わさびは、形が崩れて下げられてきたものをわさび醤油として出し直し、刺し身は盛り直していた。刺し身のツマはパート従業員が洗い、造り場(調理場)に導入していた。料亭経営を取り仕切っていた当時の湯木正徳前社長の指示で2007年11月の営業休止前まで常態化していたとされる[9]。 従業員はこれらの使い回しの料理について「下座の客に出すことが多かったように思う」と話している.。使い回しが発覚した後に湯木佐知子社長は「食べ残し」と呼ばず「手付かずのお料理」と呼ぶようにマスコミに要望した。

事後説明及び廃業までの経過

一方、尚二はこれらの証言内容を否定。更に2007年11月16日の大阪府警による家宅捜索・強制捜査でもパート女性従業員の証言や仕入業者の証言を改めて全面否定した。しかし、店の在庫や仕入れの数の報告が大阪の本社に毎日ファクシミリで店舗から送られていたことが農林水産省の調べにより判明するように船場吉兆側の主張に矛盾が生じるに至って、12月10日女将の湯木佐知子ら取締役が会見を開いて経営陣の関与を認めた。佐知子が長男の喜久郎に返答内容を小声で指示し、喜久郎がそれを鸚鵡よろしく繰り返すさまがマイクですべて拾われてしまうといった内容だった。その可笑しさは、東京スポーツ主催の「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で特別賞を受賞するほどであった。

2008年1月16日、大阪地方裁判所に民事再生法適用を申請。これを受けて裁判所は保全命令を出した。負債総額は、金融機関への債務が約6億、損害保証債務が約2億の計・約8億円であり、新社長に就任した湯木佐知子以外の役員は全員が引責辞任した。1月21日、大阪地裁より民事再生手続の開始決定を受けて佐知子新社長が会見を開いて一連の経緯について再度謝罪し、同席した料理人らより佐知子新社長就任について説明を行った。本店を22日に営業再開する一方、心斎橋店及び天神店の運営から撤退、再生計画は2008年8月5日までに提出するとして、一度は再建の道を歩むかに見えた。

平成29年 – 日本年金機構の職員が電子メールの添付ファイルを開封して個人情報約125万件が外部に流出したことが判明。

2015年5月、日本年金機構に対し外部から「標的型攻撃メール」が送られ、その結果年金管理システムに保管されていた125万人分の個人情報が漏洩しました。

組織の前身である社会保険庁の時代から「情報管理」において不祥事を多発していた日本年金機構。

日本年金機構では2015年6月1日の情報漏洩発表後、年金加入者に対し文書にて通知が行われました。その後、流出が確定した加入者に関しては基礎年金番号の変更が行われ、不審な電話等に関する問い合わせ窓口が約2週間設置されています。

これら加入者への対応で、少なくとも8億円の経費が発生したことが2015年7月の衆議院厚生労働委員会にて明らかとなっています。

記念日・年中行事

ゴルフ記念日

スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが1994年に制定。1927年のこの日、第1回全日本オープンゴルフ選手権大会が横浜の程ヶ谷カントリー倶楽部で開催されたことを記念。

花火の日

1733年(享保18年)のこの日(旧暦)、隅田川で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられたことを記念。

戦後、花火が解禁された1948年8月1日の記念に、東京本所厩橋で大規模な花火爆発事故の起きた1955年8月1日の追悼、世界最大ともいわれる教祖祭PL花火芸術の開催日8月1日の記念を兼ね、花火の日が8月1日に制定された(1967年制定)。このほか両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も花火の日となっている。

日本三大花火大会。

江戸時代
江戸時代には、以下の3つの花火大会をまとめて「日本三大花火」と称されていたとされる。

以下の3つの花火大会をまとめて「日本三大花火大会」と称されてきた。

名称開催都市打上
場所
開催時期初回開催打上数観客数
全国花火競技大会
(大曲の花火)
秋田県大仙市8月第4土曜1910年(明治43年)18,000発/1夜80万人/1夜
土浦全国花火競技大会茨城県土浦市10月第1土曜1925年(大正14年)20,000発/1夜80万人/1夜
長岡まつり大花火大会新潟県長岡市8月2日・3日1879年(明治12年)20,000発/2夜104万人/2夜

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