5月26日(相撲)

5月26日(ごがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から146日目(閏年では147日目)にあたり、年末まではあと219日ある。誕生花はワサビ。

記念日・年中行事

大正5年 – 朝日新聞で夏目漱石最後の作品『明暗』が連載開始。

夏目漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) – 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こゝろ』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなり、講演録「私の個人主義」も知られている。漱石の私邸に門下生が集った会は木曜会と呼ばれた。

ペンネーム

1889年(明治22年)、金之助は同窓生として漱石に多大な文学的・人間的影響を与えることになる俳人・正岡子規と出会う。子規が手がけた漢詩や俳句などの文集『七草集』が学友らの間で回覧された時、金之助がその批評を巻末に漢文で書いたことから、本格的な友情が始まる。この時に初めて漱石という号を使う。漱石の名は、唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えである。「漱石」は子規の数多いペンネームのうちの一つであったが、後に漱石は子規からこれを譲り受けている。

漱石と病気

漱石は、歳を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、命取りとなった胃潰瘍まで、多数の病気を抱えていた。『硝子戸の中』のように直接自身の病気に言及した作品以外にも、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生が胃弱だったり、『明暗』が痔の診察の場面で始まっていたりするなど、小説にも自身の病気を下敷きにした描写がみられる。「秋風やひびの入りたる胃の袋」など、病気を題材にした句も多数ある。

酒は飲めなかったが、胃弱であるにもかかわらずビーフステーキや中華料理などの脂っこい食事を好んだ。大の甘党で、療養中には当時貴重品だったアイスクリームを欲しがり、ついには家族に無断で業務用アイスクリーム製造機を取り寄せ、妻と大喧嘩になったこともある。当時出回り始めたジャムもお気に入りで、毎日のように舐め、医師に止められるほどだったという。

胃弱が原因で頻繁に放屁をしたが、その音が破れ障子に風が吹きつける音にそっくりだったことから、「破障子」なる落款を作り、使用していたことがある。

また、漱石は天然痘(疱瘡)にかかっており、自分の容姿に劣等感を抱いていた。しかし当時は写真家が修正を加えることがよく行われており、今残っている写真には漱石が気にしていた「あばた」の跡が見受けられない。

昭和12年 – 双葉山定次が第35代横綱に昇進。

双葉山 定次(ふたばやま さだじ、明治45年/大正元年2月9日 – 昭和43年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。

双葉山が生まれた1912年は明治45年(大正元年)であるが、明治が大正に改元する前に生まれており、明治生まれで最後の横綱である。

昭和38年 – 横綱・大鵬が大相撲史上初の6場所連続優勝。

大鵬 幸喜(たいほう こうき、昭和15年5月29日 – 平成25年1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)出身の元大相撲力士。第48代横綱。本名は納谷 幸喜(なや こうき)であるが、一時期は母親の再婚によって住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていたこともあった。

色白の美男

色白の美男だったためか、若い頃の人気は非常に高かった。男性相撲ファンに絶大な支持を誇った柏戸と比べて大鵬は女性・子供からの絶大な支持を誇った。大鵬の取組の時だけは銭湯の女湯ががら空きになったという。全盛期には大鵬にあやかって「幸喜」と命名された男児が多くいた。俳優・劇作家・脚本家である三谷幸喜もその一人である。

酒豪

若い頃は大変な酒豪で、一日の酒量が一斗(18リットル)に達し、ビールを一升瓶で20本(36リットル)飲んだこともあったという。6連覇をかけていた時期の雑誌『相撲』の記事では「大鵬の兄弟子、熊ヶ谷親方(元幕内海山)はかつて7升の酒を飲み干したと伝えられるが、本格的に腰を据えて飲めば、大鵬の最高記録は7升程度のものではなかろうか」と、大鵬の酒量に関する主張は典拠によって異なる。塩辛い物も好きであり、酒のつまみに大ぶりの明太子を2腹も3腹も食べながら飲んだと伝わる。現役時代には同い年の親友(誕生日が9日違い)である王貞治と夜通し飲み明かしたこともあり、酔い潰れた王が一眠りして起きると大鵬が変わらないペースで飲んでいたという。しかしその飲酒量の多さが後に健康を害した大きな原因と言われている。

慈善活動

現役時代より慈善活動にも熱心で、「大鵬慈善ゆかた」などを販売して、その収益は、昭和42年から昭和43年まで老人ホーム・養護施設へテレビを寄贈、翌昭和44年から平成21年まで、日本赤十字社に「大鵬号」と命名した血液運搬車を贈った。テレビはNHK文化事業団に36台贈呈。血液運搬車の寄贈台数は昭和44年から昭和51年までと昭和54年から平成13年まで毎年2台ずつ、平成14年から平成21年まで毎年1台ずつで、平成21年9月に70台目(自身の年齢と同数)の贈呈を終えたところで活動も終えた。

相撲の小話

相撲(すもう)は、土俵の上で力士が組合って戦う形を取る日本古来の神事や祭りであり、同時に武芸でもあり武道でもあり(「弓取り式」の本来の意味から)、娯楽でもある。古くから祝儀(懸賞金という表現)を得るための興行として、大相撲が行われている。日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的にも行われている。

呼び方

「すもう」の呼び方は、古代の「すまひ」が「すもう」に変化した。表記としては「角力」、「捔力」(『日本書紀』)、「角觝」(江戸時代において一部で使用)、など。これらの語はもともと「力くらべ」を指す言葉であり、それを「すもう」の漢字表記にあてたものである。19世紀から20世紀初頭までは「すもう」は「角力」と表記されることが多かった[3]。古代には手乞(てごい)とも呼ばれていたと言う説も有る。(手乞とは、相撲の別名とされ、相手の手を掴む事の意、または、素手で勝負をする事を意味する。)

大相撲を取る人は正式名称は「力士」(りきし)といい、また「相撲取り」、親しみを込めて「お相撲さん」とも呼ばれる。

英語では「sumo(スモウ)」または「sumo-wrestling(スモウ・レスリング)」と表記される。

なお、日本では組み合う格闘技的な競技を総じて相撲と呼ぶ。用例には腕相撲、足相撲、指相撲、拳相撲、草相撲などがある。他に、相撲を模して行われるものに紙相撲がある。

歴代の横綱

横綱は大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号

語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
横綱になる力士はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を要求される。

現在の大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。
それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。

横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。

四股名/読み仮名出身地横綱昇進引退優勝
1明石志賀之助
あかし しがのすけ
宇都宮藩不明不明不明
2綾川五郎次
あやがわ ごろうじ
栃木県不明不明不明
3丸山権太左衛門
まるやま ごんだざえもん
宮城県1749年1749年
現役中に死去
不明
4谷風梶之助
たにかぜ かじのすけ
宮城県1789年11月1794年11月
現役中に死去
21回
5小野川喜三郎
おのがわ きさぶろう
滋賀県1789年11月1798年10月7回
6阿武松緑之助
おうのまつ みどりのすけ
石川県1828年2月1835年10月5回
7稲妻雷五郎
いなづま らいごろう
茨城県1829年9月1839年11月10回
8不知火諾右衛門
しらぬい だくえもん
熊本県1840年11月1844年1月1回
9秀ノ山雷五郎
ひでのやま らいごろう
宮城県1847年9月1850年3月6回
10雲龍久吉
うんりゅう きゅうきち
福岡県1861年9月1865年2月7回
11不知火光右衛門
しらぬい こうえもん
熊本県1863年10月1869年11月3回
12陣幕久五郎
じんまく きゅうごろう
島根県1867年1月1867年11月5回
13鬼面山谷五郎
きめんざん たにごろう
岐阜県1869年2月1870年11月7回
14境川浪右エ門
さかいがわ なみえもん
千葉県1877年2月1881年1月5回
15梅ヶ谷藤太郎 (初代)
うめがたに とうたろう
福岡県1884年2月1885年5月9回
16西ノ海嘉治郎 (初代)
にしのうみ かじろう
鹿児島県1890年5月1896年1月2回
17小錦八十吉 (初代)
こにしき やそきち
千葉県1896年5月1901年1月7回
18大砲万右エ門
おおづつ まんえもん
宮城県1901年5月1908年1月2回
19常陸山谷右エ門
ひたちやま たにえもん
茨城県1903年6月1914年5月7回
20梅ヶ谷藤太郎 (2代)
うめがたに とうたろう
富山県1903年6月1915年6月3回
21若嶌權四郎
わかしま ごんしろう
千葉県1903年1月1907年1月4回
22太刀山峯右エ門
たちやま みねえもん
富山県1910年6月1917年1月11回
23大木戸森右エ門
おおきど もりえもん
兵庫県1913年1月1914年1月10回
24鳳谷五郎
おおとり たにごろう
千葉県1914年6月1919年5月2回
25西ノ海嘉治郎 (2代)
にしのうみ かじろう
鹿児島県1915年5月1917年5月1回
26大錦卯一郎
おおにしき ういちろう
大阪府1916年5月1922年1月5回
27栃木山守也
とちぎやま もりや
栃木県1918年2月1925年5月9回
28大錦大五郎
おおにしき だいごろう
愛知県1918年5月1923年1月6回
29宮城山福松
みやぎやま ふくまつ
岩手県1922年2月1931年3月2回
30西ノ海嘉治郎 (3代)
にしのうみ かじろう
鹿児島県1922年5月1928年10月1回
31常ノ花寛市
つねのはな かんいち
岡山県1924年1月1930年10月10回
32玉錦三右エ門
たまにしき さんえもん
高知県1933年1月1938年5月
現役中に死去
9回
33武藏山武
むさしやま たけし
神奈川県1936年1月1939年5月1回
34男女ノ川登三
みなのがわ とうぞう
茨城県1937年1月1942年1月2回
35双葉山定次
ふたばやま さだじ
大分県1938年1月1945年11月12回
36羽黒山政司
はぐろやま まさじ
新潟県1942年1月1953年9月7回
37安藝ノ海節男
あきのうみ せつお
広島県1943年1月1946年11月1回
38照國萬藏
てるくに まんぞう
秋田県1943年1月1953年1月2回
39前田山英五郎
まえだやま えいごろう
愛媛県1947年11月1949年10月1回
40東富士欽壹
あずまふじ きんいち
東京都1949年1月1954年9月6回
41千代の山雅信
ちよのやま まさのぶ
北海道1951年9月1959年1月6回
42鏡里喜代治
かがみさと きよじ
青森県1953年3月1958年1月4回
43吉葉山潤之輔
よしばやま じゅんのすけ
北海道1954年3月1958年1月1回
44栃錦清隆
とちにしき きよたか
東京都1955年1月1960年5月10回
45若乃花幹士 (初代)
わかのはな かんじ
青森県1958年3月1962年3月10回
46朝潮太郎 (3代)
あさしお たろう
兵庫県1959年5月1962年1月5回
47柏戸剛
かしわど つよし
山形県1961年11月1969年7月5回
48大鵬幸喜
たいほう こうき
北海道1961年11月1971年5月32回
49栃ノ海晃嘉
とちのうみ てるよし
青森県1964年3月1966年11月3回
50佐田の山晋松
さだのやま しんまつ
長崎県1965年3月1968年3月6回
51玉の海正洋
たまのうみ まさひろ
愛知県1970年3月1971年9月
現役中に死去
6回
52北の富士勝昭
きたのふじ かつあき
北海道1970年3月1974年7月10回
53琴櫻傑將
ことざくら まさかつ
鳥取県1973年3月1974年5月5回
54輪島大士
わじま ひろし
石川県1973年7月1981年3月14回
55北の湖敏満
きたのうみ としみつ
北海道1974年9月1985年1月24回
56若乃花幹士 (2代)
わかのはな かんじ
青森県1978年7月1983年1月4回
57三重ノ海剛司
みえのうみ つよし
三重県1979年9月1980年11月3回
58千代の富士貢
ちよのふじ みつぐ
北海道1981年9月1991年5月31回
59隆の里俊英
たかのさと としひで
青森県1983年9月1986年1月4回
60双羽黒光司
ふたはぐろ こうじ
三重県1986年9月1987年11月なし
61北勝海信芳
ほくとうみ のぶよし
北海道1987年7月1992年3月8回
62大乃国康
おおのくに やすし
北海道1987年11月1991年7月2回
63旭富士正也
あさひふじ せいや
青森県1990年9月1992年1月4回
64曙太郎
あけぼの たろう
ハワイ1993年3月2001年1月11回
65貴乃花光司
たかのはな こうじ
東京都1995年1月2003年1月22回
66若乃花勝
わかのはな まさる
東京都1998年7月2000年3月5回
67武蔵丸光洋
むさしまる こうよう
ハワイ1999年7月2003年11月12回
68朝青龍明徳
あさしょうりゅう あきのり
モンゴル2003年3月2010年1月25回
69白鵬翔
はくほう しょう
モンゴル2007年7月現役37回
70日馬富士公平
はるまふじ こうへい
モンゴル2012年11月現役8回
71鶴竜力三郎
かくりゅう りきさぶろう
モンゴル2014年5月現役3回
72稀勢の里寛
きせのさと ゆたか
茨城県2017年1月現役2回

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