相撲~伝説~

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千代の富士

千代の富士の現役時代の体のデータ
183cm 126kg 体脂肪率10.3%

脂肪が12.6キログラム

徐脂肪体重が、113.4キログラム

1978年ごろ、元恋人が借金を抱えていたこと、梶原一騎らの誘いを受けていたことからプロレス転向を考えていた。だがしかし、プロレスでも肩を壊せば脱臼だけでなく左腕切断の危険性もあり、これは思いとどまった。

脱臼が多くてそれを克服するために 肩周りの筋肉を徹底的に鍛えて、その筋肉で肩の脱臼を防ぐということをやってのけた。

毎日500回の腕立て伏せ・ウェイトトレーニングに励んで脱臼を克服した。

小錦

新弟子検査では体重計の目盛を振り切ってしまい、急遽もう1台用意して脚を片方ずつ乗せて測定(1台では150kgまでしか測れなかった、105kg+70kgと記録されている。)したり腕が太すぎて血圧計が使えないなどの破格振りを示した。

引退前には怪我のため痛み止め薬を一日10錠も飲んでいたが、これが災いし出血性胃潰瘍を発症、巡業先のホテルで大量に下血。体内の血液を40%も失う危険な状態であったが何とか一命をとりとめた。

痛み止めのため発症には気付かず、入院中も厚い脂肪のため外科手術ができない上に、これ以上の投薬は危険と判断され、激痛に耐えながら自然回復による治癒を待つしかない状態だった。なお、この時は風邪による体調不良のため休場と公表していた。

伝説の取り組み

なんと取り直し3回!大相撲 伝説のうっちゃり勝負の微妙な行方は!?昭和63

「同体」なら「取り直し」もある!相撲の判定の決まり
相撲の勝敗が微妙な場合でも、取り組みを裁く行事は必ず東西どちらかに軍配を上げなければなりません。力士が土俵に落ちる、または土俵を割るのが同時の「同体」となった場合、「同体」という軍配は上げられないため、その判定に対し審判委員が異議申し立てをする「物言い」がつくことがよくあります。

「物言い」がつくと、審判委員たちが土俵上に上がって協議を行い、「同体」と確認された場合には再度取り組みを行う「取り直し」をする旨が、審判長より会場にアナウンスされます。

この「物言い」がなんと3回もつき、合計4回も相撲を取った挙げ句ようやく勝敗がついた取り組みが、過去に存在しました。

霧島 対 水戸泉戦

「うっちゃり4連戦」と言われ語り継がれることになったその取り組みとは、昭和63(1988)年5月場所の初日の、当時前頭7枚目の霧島と、同8枚目の水戸泉の対戦です。

1回目の取り組みでは「寄り倒し」で水戸泉の勝ち・・・かと思いきや、土俵際での霧島の「うっちゃり」により、同時に落下。「物言い」がつき、この取り組みは「取り直し」となりました。

2回目の取り組みでは、「寄り切り」を仕掛けた霧島に対して今度は水戸泉が土俵際で「うっちゃり」。力士でなかったら2人とも大怪我でも不思議ではないような体勢で土俵下まで落下した挙句、霧島に軍配が上がったものの再度「物言い」がつき「取り直し」。

3回目の取り組みは、「寄り切り」で水戸泉の勝ち・・・と思いきや、なんとまた土俵際で霧島が「うっちゃり」!軍配は霧島に上がったものの、これまた「物言い」がつき、「取り直し」に。

そしてまさかの4回目!霧島は土俵際で「うっちゃり」を仕掛けましたが、さすがにこの日4回目の相撲で疲れも出たのか若干早く落ちてしまい、水戸泉の勝ちとなりました。^

後に霧島はTV番組で・・・

後に、BS JAPANの「語る!大相撲名勝負列伝 平成27年初場所スペシャル!」に元大関・霧島の陸奥親方が出演した際に、この取り組みが親方の「思い出の一番」として取り上げられました。

スローモーションの映像を見た陸奥親方が「(自分が)勝ってるな~」と言って出演者を笑わせるワンシーンもありましたが、実は親方はこの日この取り組みで負けたのが悔しくて、4回も相撲を取って疲れていたにも関わらず、その後ジムへ行ってトレーニングをされていたとのことです。

霧島 対 水戸泉 〜うっちゃり4連戦〜

貴ノ花VS清国(昭和46年秋場所)

当時の関脇・貴ノ花(のちに大関)は、角界のスーパーアイドル。とはいえ、人気先行のきらいがあった。だが、この大関・清国戦は、貴ノ花がただのアイドルではなく、「実力を兼ね備えた力士である」という一面を周囲に印象づけた記念すべき一番となった。

「立ち合いから優勢に攻め立てた清国が、貴ノ花の左足を抱え上げたんです。大関が格下の貴ノ花の足を取ったわけですよ。それにも驚きましたが、それ以上に衝撃だったのが、貴ノ花の驚異の粘り腰」(やく氏)

片足を取られた貴ノ花がケンケンの要領で耐えること10秒余り。うまく体を入れ替えた瞬間、清国の右上手を取り、半身のまま土俵際へ寄り立て、最後は上手出し投げで破ったのだ。

片足だけで逆転勝利した取り口は今も伝説である。

Takanohana vs. Kiyokuni : Aki 1971 (貴ノ花 対 清國)

輪島VS北の湖(昭和49年名古屋場所)

史上最年少で横綱昇進を狙う北の湖は、14日目まで1敗。片や輪島は2敗。横綱2人(琴桜と北の富士)が引退したため、横綱と大関ながら、千秋楽の結びで、優勝を賭けて激突することになった。

まず結びでは、強引に寄る北の湖に対して、輪島は満を持して、左下手投げを繰り出し、北の湖を土俵上に転がす。これで相星となり、優勝決定戦へ。
そこでも北の湖は、輪島の左下手投げに屈し、輪島に逆転優勝を許した。翌場所、北の湖は横綱へ昇進するものの、2番続けて輪島に敗れたことが昇進ムードに水を差す結果となった。

「”黄金の左”といわれた輪島の強さが存分に発揮された取組です。輪島の強烈な右おっつけからの左下手投げは天下一品。下手投げで、輪島にかなう力士はいないと思いますよ」(相撲雑誌・読売『大相撲』元記者の長山聡氏)

結びと優勝決定戦、2番続けて”黄金の左”が炸裂した伝説の一番となった。

輪島vs北の湖 (昭和49年七月場所・優勝決定戦)

高見山VS貴ノ花(昭和55年秋場所)

高見山は最高位の関脇から平幕へ陥落し、貴ノ花は引退する前年。観衆を魅了してきた人気者同士の最後の戦いが名勝負となった。

高見山がまず得意の突っ張りで突き放しにかかろうとすると、貴ノ花は巧みに突っ張りをかいくぐって両差し。貴ノ花は右から投げを打ち、高見山の巨体は大きく傾いたものの、高見山は左小手投げを打ち返し、右手で貴ノ花の頭を押さえつけた。
「土俵際の小手投げ(高見山)と、すくい投げ(貴ノ花)の打ち合いが見事。いったん、高見山が先に落ちたように見え、貴ノ花に軍配があがるんです。しかし、物言いがつき、貴ノ花のマゲが先に土俵についていたとして、軍配差し違えで高見山の白星。貴ノ花の驚異の足腰、さらには、差し違いでの黒星にも一切言い訳をしなかった潔さが素晴らしいですね」(武田さん)

のちに、貴ノ花が”マゲ敗け”したと語り継がれる伝説の一番である。

貴ノ花vs高見山 (昭和55年九月場所)

貴乃花VS武蔵丸(平成13年夏場所)

「痛みに耐えて、よく頑張った。感動した! おめでとう!」

優勝した貴乃花に内閣総理大臣杯を授与した小泉純一郎首相(当時)の名セリフとともに、「日本中が感動した一番。千秋楽の優勝決定戦、手負いの貴乃花が”鬼の形相”で武蔵丸を投げ捨てました」(長山氏)

この場所、13日目まで全勝で来た貴乃花に14日目、異変が起きる。大関・武双山との対戦で右ひざ亜脱臼のケガを負い、千秋楽の出場さえ危ぶまれたのだ。

しかし、貴乃花は強行出場。武蔵丸との本割(正規の取組)での対戦では予想通り、相手にならず、武蔵丸が完勝。まさか、優勝決定戦で奇跡が起きるとは誰も予想していなかった。
「決定戦で土俵に上がった貴乃花が塩を取りに行き、そのとき、亜脱臼している右ひざを回してみたら、うまくハマったというんですよ。それで、なんとか戦えると思ったと……」(前同)

貴乃花は右足を引きずりながら対戦に臨み、左からの上手投げで勝利した。そのあと、目を吊り上げ、唇を噛みしめた表情は、まさに”勝負の鬼”。これが貴乃花最後の優勝になった。

貴乃花の天皇賜杯 〜クライマックス〜

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