お金の雑学

なぜ日本の通貨は「円」になったのか

それまで日本の通貨は「両」でしたが、明治維新によって江戸幕府が崩壊したことをきっかけに通貨の見直しがされることになります。それまで国内の東西で金銀の統一が取れていなかったことから、新政府にとって通貨の新制度を制定するのは当然の仕事といえました。

なぜ「円」なのか

1871年、明治政府は新貨条例を施工し、通貨の基本単位を「円」とすることを定めました。硬貨の形や、それまで4進法だったものを10進法にする計算式などは、欧米を真似たものとされます。

それではなぜお金の単位が「円」になったのかというと、実は当時の資料が残っていないために、これが決め手になったという確証のある情報はありません。しかし最も有力な説が、早稲田大学の創始者であり、かの有名な大隈重信が決め手になったという説です。

日本では、親指と人差し指で丸い形を作るハンドサインが「お金」を意味します。大隈重信は、誰でもお金と分かるこのジェスチャーが「円」を表していることから、通貨の単位も「円」にしようと打ち出したと言われています。

一円硬貨は作られるほど赤字

国内において最も製造数の多い硬貨である一円玉。昨年2014年には1億6千万枚もの一円玉が製造されました。

消費税が5%の時代では、端数が0または5円になることが多かったため、硬貨の需要が激減したことにより製造量が減少。最も製造が少なかった年ではおよそ800万枚と、昨年度の10分1にすら満たないほど製造量が抑えられていたのです。

2010年を過ぎると電子マネーの普及に伴って硬貨自体の流通量がさらに減少。2011年から2013年なかばまでの間で、ミントセット(※)を除く一般流通用の一円玉は一枚も製造されていないのです。
※ミントセット:コレクション用途で発行される貨幣のセットの事

2014年4月から消費税が8%に引き上げられることに伴い、一円玉の需要が高まることが予想され、2013年なかば頃からようやく製造が再開されました。冒頭でも述べたように、昨年2014年では1億6千万枚もの製造が行われるまでになったのです。

一円玉は赤字

一円玉の原料はアルミニウムです。現在では一円玉を1枚製造するにあたり、3円の費用がかかるとされています。これは一円玉を1枚製造するために、3円分のアルミニウムが必要であるからです。

アルミニウムなど、金属の価値は変動するものですが、2003年度では1枚製造あたり14円の費用がかかっていたのに対し、2011年度では1枚製造あたり0.2円の費用となるなど、その変動は激しいです。

昨年1億6000万枚の製造に関しても、1枚の製造に3円、差し引き2円の赤字となるので、3億2千万円もの赤字を国が負担している計算になります。

一円玉に描かれている植物は何?

現在の一円玉硬貨は1955年に初めて発行されました。そのデザインは表面に何やら植物のようなものが、裏面には数字の「1」が描かれていますが、この植物は一体何の種類なのでしょうか。

描かれた植物の正体

一円玉のデザインは、一円玉が初めて発行される前年に、一般公募によって選出されました。40日間の応募期間で2581点ものデザイン案が集まりました。そこから採用されたものが、現在でも使われ続けている一円玉のデザインなのです。

そして問題の表面に描かれた植物。じつはこの植物はモデルとなる植物は存在しない架空の植物であり、「若木」というタイトルで応募されました。

ちなみに表面と裏面ではデザイン考案者が別々で、採用賞金として贈られる予定だった7万5千円は、二人に半分ずつ贈られたとのこと。

5円玉だけなぜ漢字表記?

日本の硬貨には1円、5円、10円、50円、100円、500円の6種類があります。各硬貨に記されている金額を見てみると、5円玉だけはなぜか漢字で「五円」と書かれています。なぜ他の硬貨と同じく、数字で記載しないのでしょうか。

5円玉が漢数字な理由

5円硬貨は1959年から発行が開始されており、中心に穴が開いているのは、視覚障害者にも分かりやすくするためと、材料費の節約という理由があります。

5円玉のデザインには産業に関わるモチーフが用いられており、稲穂は農業を、水面は水産業を、歯車は工業を表しています。また、裏面の双葉は日本の経済が伸びることを表しているのです。

そして5円玉だけがなぜ「五円」と書かれているのか。造幣局の情報によると「特に理由はない」とのこと。これだけ5円玉には様々な想いが込められているのにも関わらず、「五円」の表記には何の感情もなかったのです。

硬貨には製造年が刻印されているのに、紙幣にはない理由

日本の硬貨(コイン)の片面には必ず製造された年が和暦で刻印されています。しかし紙幣には製造年は印刷されていません。なぜなのでしょうか。

記載する必要性が低いため

硬貨に年号が刻印され始めた理由は、金を通貨価値の基準とする制度である、金本位制の名残なのです。造幣局ができた1871年当時は、金の品質が年によって異なっていたため、いつの硬貨であるかを証明する必要がありました。

一方紙幣の方はというと、紙幣は紙で出来ていますから、硬貨に比べて圧倒的に寿命が短いため、製造年を印字する必要性がないのです。その寿命は一万円札で3〜4年、千円札で1〜2年と言われています。

古くなった紙幣はすぐに新しいものと取り替えられてしまうため、何十年も前の紙幣は出回っていないのです。

では紙幣の製造年を判別することが出来ないのかというと、それもまた違います。紙幣には製造番号が印刷されていますが、この番号によって製造年を割り出すことは可能です。しかし防犯上の理由から、その割り出し方法は日本銀行しか知り得ない事なのです。

紙幣の肖像画は誰が描いている?

福沢諭吉や野口英世など、紙幣に描かれた精密な肖像画の目的は言うまでもなく紙幣の偽造防止のためです。肖像画をよく見てみると、細かい無数の線で描かれていることが分かります。ではこの緻密な絵は一体誰が描いているのでしょうか。

紙幣に用いられる技術

紙幣に使われるくらいだから、さぞ有名で高名な人物が描いているかといえば、そうではありません。紙幣に描かれた人物、さらに他のデザインを務めているのは、財務省の印刷局に務める国家公務員なのです。しかしただの公務員ではなく、それ専門に雇われた人達で、その名も「工芸官」と呼ばれます。工芸官は30人程度の人数で構成されています。

まず写真をもとに下絵となる水彩画を描き、それをもとに特殊な彫刻刀で銅板に細かく細かく線を削り出していきます。1mmの幅に10本以上の線を彫刻することもある、大変精密な作業なのです。

こうして作られる日本の紙幣の偽造防止レベルは、世界でも屈指の技術力を誇っています。

工芸官について

工芸官は、紙幣や印紙などのデザインをし、印刷するための原版を作る仕事です。紙幣の場合はデザイン担当と彫刻担当に分かれます。デザイン担当者はお札の図柄を考え、筆と絵具でお札のもとになる原図を描きます。彫刻担当者はその原図をもとに、手彫りで原版を作成します。紙幣のデザインは、偽造防止のために大変複雑にできており、高い完成度を求められています。特に日本は、伝統的にその技術の維持向上に努めており、近年は海外からも大変注目されています。

長年にわたり使用される紙幣を作る工芸官には、高いデザイン力と彫刻の技術が求められます。まずは印紙や証紙などの製造を行いながら技術を磨きます。紙幣のデザインや彫刻を担当するのはベテランの工芸官です。紙幣のデザインや彫刻を任されるには、10年以上の修業が必要ともいわれます。

工芸官は国立印刷局で働く国家公務員です。工芸官になるためには、国家公務員試験に合格する必要があります。ただし、募集人数はごくわずかです。美術系の大学で、デザインや彫刻の技術を身につけておくとよいでしょう。

2000円札は今どこに?

西暦2000年を記念して発行が決定された「2000円札」。この2000円札は記念紙幣というわけではなく、通常の日本銀行券の紙幣であり、もちろん現在でも使用することが出来ます。ですが今となっては全くもって見る影もありません。今の若い世代には知らない人も多いのではないでしょうか。そんな2000円札は今どうしているのでしょうか。

2000円札の行方

2000円札は2000年度に7億7千万枚が、2003年度に追加で1億1千万枚の合計8億8千万枚が発行されました。実際に世間に流通した枚数は2004年8月の5億1千万枚がピークで、その後は年々右肩下がりに流通量は減少。全国的に2000円札を見ることはなくなりました。

現在、発行された2000円札のおよそ99%が日本銀行の金庫に眠っており、残りの1%はなんと沖縄県で盛んに使用されているのです。というのも2000円札のデザインには首里城が採用されており、発行が決定したのも沖縄サミットが開催されたのが記念されてのことなので、沖縄は2000円札誕生の地と言っても過言ではないのです。

そんなことから、沖縄では2000円札の使用に本腰を入れており、ATMでも2000円札が気軽に引き出せる仕組みになっているのです。現在の沖縄での2000円札の流通量はおよそ370万枚に達し、県民一人あたり2~3枚程を所持している計算になります。

日本のお札に含まれる9つの技術

日本のお札の印刷技術は、偽造防止のため発展してきました。日本のお札には世界に誇る技術が詰まっています。

図:日本のお札の偽造防止技術

図:日本のお札の偽造防止技術

1.すき入れバーパターン
一万円札・五千円札・千円札には、お札の真ん中以外に、それぞれもう一か所ずつ、すかしがあるのを知っていますか? 肖像画の向かって右側です。「すき入れバーパターン」と呼ばれるすかしで、一万円札には3本、五千円札には2本、千円札には1本のタテの棒線が入っています。

2.超細密画線・マイクロ文字
お札をよく見るとわかりますが、肖像画の顔や「日本銀行券」「10000」といった文字はすべて、とても細い線や点で描かれています。仮にカラーコピー機などでコピーしても再現できないほど細いもので、これも偽造防止策のひとつです。さらに、虫眼鏡で見てもよく見えないほど小さな「マイクロ文字」もたくさんちりばめられています。一万円札の場合では表だけで6箇所に「NIPPON GINKO」の文字がたくさん印刷されています。ほかの紙幣にもありますので、みなさんも見つけてみてください。

3.特殊発光インキ
紫外線をあてると、表の印章部分や裏の「NIPPON」の文字が光るように特殊なインキが使われています。ちなみに五千円札だけは、肖像画(樋口一葉)の顔の部分も少しだけ光るようになっているそうです。

4.深凹版印刷
額面と肖像の図柄は印肉が盛り上がって印刷されています。

5.ホログラム
角度を変えると、色や模様が変化して見えます。

6.潜像模様
お札を傾けると、額面(裏面は「NIPPON」の文字)が見えます。

7.パールインキ
お札を傾けると余白にピンク色の光沢が見えます。

8.識別マーク
目の不自由な人が認識できるよう、指で触るとザラザラしています。

日本で最初の貨幣とは?

この世にまだ「お金」がなかった時代、人々は物と物を交換して暮らしていたと考えられています(物々交換)。ただこのやり方では、自分の欲しい物と相手の欲しい物が常に一致するとは限りません。そこで、よりスムーズに交換ができるように、まず自分の持ち物をお米や塩、布、農具など、誰もが欲しがるものにあらかじめ替えておき、さらにそれを相手の持ち物と交換するという方法が考えられました。
このようなお金のような役割をする物を「物品貨幣」といいます。

ちなみに、漢字の中でお金や財産のことを表す「財」「貯」「買」「貨」「贈」「賭」などの文字には、どれも「貝」という字が使われています。これは、古代の中国で貝殻がお金のかわりに用いられていたからでした。

貝=お金

塩やお米などの物品貨幣は持ち運びには不便ですし、それほど長くは保管できません。そこで次第に、持ち運びや保管に便利な金や銀を使ったお金=貨幣が生まれていったわけです。

日本史の教科書にも必ず出てきますが、日本で最初の公的な鋳造貨幣は「和同開珎(わどうかいちん)」だと言われています。708年、国内(現在の秩父地域)で初めて銅が産出されたことから、当時の政府は元号を「和銅」に改めるとともに、この年に貨幣の鋳造をはじめたのでした。

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