偉人の年収

1位 織田信長:117万石・1750億円
本能寺の変の直前である1582年頃に支配していた、関東の一部や中部・近畿・中国地方の石高が700万石。


2位 徳川家康:67万石・1000億円
1600年頃の伊豆・相模・武蔵・上野・下野・下総・上総・常陸・甲斐などを直轄領としており、その石高は400万石。


3位 豊臣秀吉:37万石・555億円
天下統一後、関白職を秀次に譲り太閤となった最盛期1591年頃の直轄領の石高は222万石。


4位 上杉謙信:24万石・362億円
出羽、越後、佐渡、越中、能登などを領地とした時の石高が145万石。


5位 武田信玄:22万石・335億円
甲斐、信濃、駿河と遠江、三河、飛騨、越中などを領地とした時の石高は約134万石。


6位 伊達政宗:19万石・285億円
1589年の秀吉による小田原城攻めに参加する直前の頃、陸奥、出羽66郡の約半数を治めていた時の石高が114万石。

7位 徳川光圀:4万6666石・70億円
水戸藩第二代藩主となった1661年の石高28万石をもとに算出。


8位 石田三成:3万2000石・47億円
関ヶ原の戦いにおいて西軍の指揮官だった頃の石高が19万石。敗戦後、領地は没収された。


9位 真田昌幸:6333石・9億5000万円
石高は3万8000石。長男の信之は13万石まで勢力を伸ばした。


10位 藤原道長:田地、綿などの現物支給・4億5000万円
従一位太政大臣時の給料。ほかにも荘園の名義貸しをして得た収入があったといわれている。


11位 大岡忠相:1666石・2億5000万円
「大岡裁き」の大岡越前。町奉行での働きが認められて寺社奉行になり、1万石の大名となった。


12位 長谷川平蔵:1500石・2億2500万円
『鬼平犯科帳』の鬼平のモデル。火付盗賊改方の長を務め、情報収集のために町人にそばを振る舞うなどして経費がかさんだという。


13位 勝海舟:1000石・1億5000万円
1872年制定の太政官制における従二位の年給俸禄を基に算出。枢密顧問官も務めていたが、その待遇は不明。


14位 大久保利通:7200円・1億4000万円
参議という大臣クラスの役職の給料。実質的に政界のトップとして「富国強兵」をスローガンに殖産興業政策を推進した


15位 源頼朝:田地、綿などの現物支給・1億2400万円
正二位の年俸が1億1000万円に征夷大将軍の給与1400万円程度が加わる。別に将軍家の荘園からの収入があった


16位 西郷隆盛:6000円・1億2000万円
陸軍大将の地位にあった1872年の月給が500円。当時、大佐の月給は250円、大尉は100円だった。


17位 伊藤博文:9600円・9600万円
1885~1888年の内閣総理大臣としての月給800円から算出。


18位 市川團十郎(2代目):1000両・6000万円
1721年に給金が1000両になった。千両役者の語源ともいわれ、あまりの人気に収入が高額になりすぎ、幕府が給料の上限を決めるほどだった


18位 東郷平八郎:6000円・6000万円
1904年1月21日の海軍給典令における海軍大将の年俸。なお、参謀として有名な秋山真之は当時中佐で年俸は約1800円(1800万円)


20位 宮本武蔵:330石・4950万円
晩年の1640年、熊本城主の細川忠利に剣術の指南役として招かれた際の禄高。浪人の身分で指南役という大役を任されるのは異例。


21位 東条英機:9600円・4800万円
当時の総理大臣の月収800円から算出。なお、1931年の陸軍大将の月収は550円、二等兵は6円だった


22位 大石内蔵助:250石・3750万円
祖父・良欽が死去して受け継いだ遺領の石高が1500石。なお、吉良邸への討ち入り費用は691両(約7000万円)といわれている。


23位 山本五十六:6600円・3300万円
1943年の海軍大将の年俸。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死した。


24位 近藤勇:600両・600万円
副長の土方歳三は約480万円、沖田総司や斎藤一は約360万円、下級隊士は約120万円。下級隊士でも当時としては高給だった。


25位 坂本龍馬:60両・60万円
坂本龍馬が結成し、日本初の株式会社といわれる「海援隊」のメンバーには毎月5両の給料が支払われていた。

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