お菓子の日(毎月15日)

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その昔、お菓子の神様をまつった例大祭が15日に行われていたことにちなんで、この日がお菓子の日になりました。なんとお菓子の神社もあるそうです。(和歌山県下津町・橘本神社、兵庫県豊岡市・中嶋神社)
それほど大切なもの、貴重なものとして昔から愛されてきたお菓子。

お菓子の主成分である砂糖は、脳を元気にする唯一のエネルギー源・ブドウ糖の供給源として大切なもの。
また栄養面でも米、麦、野菜や牛乳、卵、ナッツ、フルーツなど素材が豊富でたくさんのビタミンや繊維、ミネラルなどを吸収できます。
そして何より心にも元気をくれることがお菓子のいいところ。
みんなで楽しく食べると笑顔があふれ、疲れもストレスもふっとんでしまいます。

兵庫県豊岡市・中嶋神社

〒668-0823兵庫県豊岡市三宅1
JR山陰本線豊岡駅から全但バス奥野行き中嶋神社前下車

お菓子の神様「田道間守命(たじまもりのみこと)」がまつられている神社(総本社)です。

中嶋神社は7世紀後半、推古天皇の時代に建てられました。神社の名前は「田道間守命」のお墓が垂仁天皇陵の池の中に、島のように浮かんでいることに由来するといわれています。室町時代に建立された本殿は「二間社流造り」という珍しい様式の建物で、これは、室町時代の典型的な神社建築を伝えるものとして、明治45年に国宝に指定され、現在は国の重要文化財となっています。

毎年4月の第3日曜日に開催される「菓子祭」では全国の菓子業者が商売繁盛の祈願に訪れると共に平成23年からは前日祭も豊岡市内中心市街地で開催され、多くの来場者で振わいます。

田道間守命 (たじまもりみこと)

「古事記」「日本書紀」が伝えるお菓子の神様です。

遠いむかし、田道間守命は第11代垂仁天皇より遠い海の向こうにある「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探すように命令されました。当時、日本に「非時香菓」は無く、食べると歳をとらずに長生きが出来ると考えられていました。

田道間守命は十年の歳月をかけて、やっと非時香菓を見つけました。大喜びで非時香菓を持ち帰りましたが、その一年ほど前に天皇は亡くなっていて、持ち帰った橘の半分は皇太后に献上され、残りの半分を天皇のお墓に植えられた後、悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。

※ 非時香菓 (ときじくのかぐのこのみ) とは、たちばな【×橘】

 ミカン科の常緑小高木。枝にとげをもち、葉は小さい。6月ごろ、白い5弁花を開く。実は小さく、黄熟しても酸味が強く苦みもあり食用にはしない。
未完の原種となる。

雑学

羊羹はもともと、羊の肝や肉、血を煮込んだ熱い吸物だった

羊羹は平安時代末期の書にも現われているくらい古い食べ物だが、
原型は中国から伝わったもので、もともとは羊の肝や肉、血を煮込んだ熱い吸物。 それで羊の羹(あつもの)ということで羊羹となった。

肉食文化ではなかった日本人にはしっくりとせず、羊の肉のかわりに汁の中に穀類などをこねていれ、それが時代が経つにつれ、和菓子に変わっていったそうだ。
甘い和菓子なのになぜ「羊」と書くのかという疑問もこれで解消♪w

桜餅は 関東と関西で形態が違う

関東系桜餅「長命寺」(焼き皮製)
・・・サクラの葉を使い、クレープ状になった求肥であんをくるりと包んだもの。
江戸時代、江戸・向島の隅田川沿いにある長命寺というお寺の門番をしていた山本新六さんという人が、
あんまりたくさん散り積もる桜の葉っぱに悩まされ、葉っぱを塩漬けにしてお餅を包んで売ってみた、
というのが始まりと言われている。

関西系桜餅「道明寺」(道明寺粉製
・・・蒸した道明寺粉であんを包み、塩漬けしたサクラの葉を巻いたもの。
道明寺は大阪・藤井寺にあるお寺の名前だが、発祥地名が付けられたのではなく、「道明寺粉」という材料を使っているため、そう呼ばれているだけらしい。

日本最古のお菓子は「縄文クッキー」

日本最古のお菓子、その名も“縄文クッキー”。
栗やくるみ、トチの実といった木の実をすり潰し、こねて焼いたクッキーのようなもので、
全国の縄文時代中期〜後期の遺跡から炭化した状態で発見されている。
こねて焼くという製法しかり、現在の餅や団子の原形もいえる、日本最古の加工品でもあるだろう。お気に入り詳細を見る

飴は『日本書紀』に登場している

文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に大和高尾で水無飴を作ったという記載が『日本書紀』にある。
?また、正倉院に収蔵されている古文書に阿米という記載があり、飴を意味していると考えられており、
8世紀前半には日本で飴が作られていた事が分かる。
『日本書紀』は神話であり神武天皇の時代に飴が作られていたかは分からないが、
明らかなのは、『日本書紀』が編纂された720年には既に飴が存在したということだ。
ちなみにこの当時の飴は、いわゆる水飴であったというのが研究者の一致した見解となっている。

グミは子供の予防歯科のために作られた

1920年、ボンのハンス・リーゲルが果汁をゼラチンで固め、コーンスターチをまぶして作り、ハリボー社(HARIBO)を設立して販売したのがはじまり。
当時のドイツでは強く噛む必要のある食べ物が少なくなり、歯に関する病気にかかる子供が増えていた。
そのため硬い菓子を作ることで子供の噛む力を強くし、歯にかかわる病気を防ごうと作られたらしい。
ちなみに名称は、ドイツ語でゴムを意味するGummiに由来している。

みたらし団子は 下鴨神社境内(糺の森)にある御手洗池の水泡を模して作られた

みたらし団子は京都市左京区下鴨の加茂みたらし茶屋が発祥で、
この店の近所に鎮座する下鴨神社境内(糺の森)にある御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して、この団子がつくられたといわれている。
加茂みたらし茶屋では5個の団子を串に刺しているが、
一番上の団子が少し大きく、連続している他の4個の団子と距離が置かれているという特徴があるので、実は串に刺さった団子を人間の体に模し、一番上は頭、残りの4個は四肢を表しているとも言われているそうだ。

チーズケーキは、第一回古代オリンピックのアスリートたちも食べていた

チーズケーキの起源は古代ギリシャ。
紀元前776年の第一回古代オリンピックの期間中、アスリートたちに振る舞われていた。

ギリシャのチーズケーキをヨーロッパ中に普及させたのはローマ人であるが、
現在のチーズケーキとは味も見た目も異なっていたようである。
現在のようなベークトチーズケーキの起源は、中世前期ポーランドのポドハレ地方であり、
数世紀のちに、チーズケーキはポーランドからの移民(とくにポドハレ地方の近くの大都市クラクフからのユダヤ人)が持ち込んだレシピを元に、アメリカに出現したんだとか。

最中(もなか)の名前の由来は、月見の宴での会話から

最中の起源は平安時代。

拾遺和歌集 (しゅういわかしゅう) (巻3・秋171)にある源順の句を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において
白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したということだ。

江戸時代に考案された最中の原型も、この話に基づいて生み出したといわれ、
菓子の名前も話そのままに「最中の月」と命名されたが、後に円形でないものが出回り始めた後は、
単に「最中」と称されるようになったんだとか。

ロールケーキは、お節に食べる伊達巻のルーツ

ポルトガルには、「トルタ・デ・ラランジャ」(オレンジのケーキ)という
オレンジの果汁とオレンジピールを加えて焼いたスポンジ生地を、そのままただ巻いただけのシンプルなロールケーキがある。

卵の割合が多くて風味、外見ともに伊達巻に似ているので、日本の伊達巻はこのケーキを模したといわれている。
長崎県で「カステラかまぼこ」と呼ばれているものがその第一号。

のちに、長崎の「カステラかまぼこ」が江戸に伝えられて、伊達巻(伊達=おしゃれ)と名づけられたのがはじまりなんだって。

プリンは元々、イギリスの船乗りが考えた料理

16世紀後半当時、航海中の最大の問題は食糧。
船上では手持ちの食糧を有効に活用しなければならず、肉の小片やパン屑も簡単に捨てるわけにいかないというとき、
余った食材を全部合わせて卵液と一緒に蒸し焼きにしたところ、茶碗蒸しのようなものが出来上がった。
これが「プディング」の始まりらしい。
というわけで、本来プディングというのはパンや肉、果物など様々な材料を混ぜ、蒸し焼きにした料理で、
イギリスの船乗りの知恵から生まれたものだったんだねぇ。

シフォンケーキのふわふわの秘密は植物油

シフォンケーキの歴史は意外と浅く、1927年にアメリカ・ロサンゼルスのレストランへパンを卸していたハリー・ベーカー氏が生みの親。
その秘密のレシピは20年もの間、決して明かさずにいたそうだが、1947年にレシピがゼネラルミルズ社に売却され、公開されることとなった。
ケーキの材料にはバターを使うのが一般的という中、あのとろけるようなふわふわの秘密はバターを使わず植物油を使っていたことにあった!ということで、業界で一大センセーショナルを巻き起こしたとか。

チョコレートは昔、薬だった

初期のチョコレートは飲み物。
最も古い記述が残っているアステカ王国では、カカオは神々の食べもの=「テオブローマ・カカオ」と呼ばれ、
そのカカオを発酵、乾燥、焙煎してすりつぶし、どろどろとさせた「ショコラトル」として飲んでいたのだ。
?ショコラトルは脂肪分が多く、苦く、とても飲みにくかったが
「元気になる」「活気づく」「快活になる」すばらしい薬効のある飲みものとして、王様や貴族などが愛飲していたとか。
ちなみに現在のような固形チョコレートができたのは19世紀になって。

アイスクリームに賞味期限はない

食品衛生法のなかの「乳等省令」によると、通常、マイナス18℃以下で保存されているものは、品質の変化が極めて少ないため、「賞味期限の記載を省略してよい」ということになっている。
つまり、アイスクリームの賞味期限は無期限ということ。

お饅頭の起源には、「三国志」の諸葛孔明が絡んでいた

ある日、三国時代の宰相「諸葛孔明」が軍隊を率いて凱旋の途中、「濾水」という川があったが,その川は氾濫していて渡る事ができなかった。
孔明が川の氾濫で足止めされた土地は蛮族のすむ蛮地と呼ばれるところ。
その土地の言い伝えでは、「蛮人49人の首を切って、川の神に供えれば氾濫が抑えられる」と言われていた。
しかし孔明はこれを拒み、小麦粉をこねて人の頭を模して作ったものを49個作り、これを川の神にささげ見事に氾濫を鎮めたのだ。
中に羊と豚の肉を入れて蒸したものを「蛮頭」とよび、以後、この食べ物には、「大地をおさめる力」があるとされた。
これが饅頭の起源と言われているらしい。

ビスケット、クッキー、サブレ、クラッカー と 細かく区別しているのは日本だけ

アメリカ:日本でいうビスケットやクッキーのようなサクサクしたお菓子は全部「クッキー」と呼んでいて、
「ビスケット」というと柔らかいパンのようなものを指す。
フランスでは、クッキー=サブレ。「サブレ」というのは、もともとフランスの町の名前で、ここで作られたクッキーを「サブレ」と呼んだ。
イギリス:「クッキー」という言葉がないので、みんなビスケット。
日本:全国ビスケット協会の中での決まりでは、手づくり風の外観で、糖分+脂肪分の合計が40パーセント以上のものが「クッキー」、それ以下のものを「ビスケット」と呼ぶらしい。
また、サブレはビスケットに比べ、バターと卵を多く使うのが特徴。

大福餅の起源は、江戸時代の女性 お玉さんが作ったお多福餅

江戸時代後期ごろの明和8年(1771年)の冬、小石川に住んでいたお玉さんが作ったお多福餅が大福の前身だと言われている。
生活に困っていたお玉は餅を売ることを思いつき、餅の中に砂糖入りの小豆餡をいれて包み、冬の寒い江戸の夜、かごに火鉢をいれて焼き鍋を置き、熱々のお多福餅を売り歩いたそうだ。
それから10数年後、江戸で大福餅となりブームになり、全国に広まっていったんだって。

焼き菓子の起源は 古代メソポタミア

お菓子の原料と言えば“小麦”。

その小麦が現代の品種に近い小麦になると、文明の発達と共にお菓子が作られ始めた。
紀元前22世紀頃の古代メソポタミアの宮殿跡から、菓子型が出土しているらしい。
「楔形文字」の解読研究が進み、“メルス”と呼ばれるお菓子があったことがわかった。
作り方などから考えて、これこそが焼き菓子のルーツではないかと考えられているようだね(´ω`)

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